[コメント] 美女と液体人間(1958/日)
人形には「哀しみ」がない。
特撮映画を観るようになってから気づいたことは「哀しみ」こそ特撮の本質だという事です。特撮映画は未来の科学的な話しや怪獣のようにありえない生物がでてきたり、とにかくありえない話しが多い。このありえない話しに現実感を出すために「特撮」という技術が発明された。今はそれはCGに変わっている。そしてこのありえない話しは必ず破綻が生まれる。この破綻こそが悲劇「哀しみ」になる。透明人間、怪獣それらが幸せに暮らしていたらそれは特撮ではない。「哀しみ」がなければならないのです。そしてその「哀しみ」を表現するのは特殊撮影ではなく俳優の演技であり、話しであり、人間ドラマです。
この映画には「悲しみ」も「哀しみ」も少ない。 ということは人間ドラマが少ないということ。 この映画は特撮と呼べない、特殊撮影を使った映画だ。
本当に惜しい。闇にこだわった夜間撮影。幽霊船、地下水道、夜の雨、炎。 他は全て揃っているのに・・・哀しみだけがない。
この「哀しみ」のなさはたぶん・・主演の白川由美さんが原因だと思います。彼女が悪いわけではない、彼女はこの映画にあわないだけだ。彼女は美しいが人形みたいで気持ちが伝わらない。歌っても男といてもいっさい心は動かず綺麗な顔はそのまま。人形だから何もない。
「人形」には哀しみがない。
液体人間と人形。人がいなくては人間ドラマは生まれない。
液体人間と人形が本来の人間性を持ったらすばらしい特撮になっていたのは間違いない。
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