[コメント] 桂子ですけど(1995/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
私は嫌な事があると心の中で「1,2,3・・・」と数を数える。
「いち、にい、さん・・・」
早く嫌な事が終わるように。
この映画は映画自体が終わるように、消えるように数を数えているように思える。
また映画の時間が最初から決められ「1時間1分1秒」その時間をただ埋めるために数を数えているように思われる。
この映画のファーストシーンは主人公をただ真正面からとらえ外の音が効果音として入っている。時間は約4分、ノーカット。主人公は目線を少し変えたり、涙を流したりする。このシーンはかなりのテンションがあり面白い。
次のカットがこの映画の主題だ。部屋に時計が置いてあり、主人公のナレーションが重なる。「この映画は1時間1分1秒で終わる」「私は22歳になる・・。」「22歳を秒に直すと何万何千何秒・・・。」「1,2,3・・・。」
喋りすぎだ。
この2カット目でこの映画そのものを表し、この2カット目で私はこの映画に嫌悪感をいだいた。
「1,2,3・・・。」
早く終わってくれ。私の心の中でも数を数えた。
「いち、にい、さん・・・。」
この映画は「芸術」なのだろうか?理解できない。 自主映画のように「隙間」からリアルが滲み出るような事もない。 また貧乏臭い。 映画なのに「言葉」で映画を埋めようとしている。
しかし、ときたま「映画的瞬間」があるように思える。 ノートに「私は」と書いた瞬間。白い紙に黒い文字が浮き出る。 部屋の掃除をしてゴミを出しに外に出る。部屋からカメラはパーンをして窓の外の主人公を写した瞬間。 そして数を数えながら外を歩く長い横の移動撮影。それが白い雪になり真っ赤な服と真っ赤なカサで主人公が歩く。 歩きながら数を数える。「1,2,3・・・。」 この「外」の横移動のシーンは時間を埋めるために数を数えているのではなく一歩一歩自分を確かめているように思える。ここだけはこの映画の中でただ時間を埋めるという恐ろしい作業から開放された「自由」な瞬間だった。
ラスト、主人公はまた数を数えている。 「この映画は後10秒で終わる。10,9,8,7,6,5,4,3,2,1。」
私は嫌なとき心の中で数を数える。「1,2,3・・・。」早く終わるように。
この映画を観ているときも数を数えたかった。けど映画自体が数を数えていた。 早く終わるように。
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