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[コメント] 蝶の舌(1999/スペイン)

「君たちがどう思うかは、われわれの決めることではないんだ」・・・創り手はそう言って、モンチョのアルバムを閉じた。
はしぼそがらす

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







モンチョの目を通すことによって、とてもニュートラルな立場で物事を描いているように感じた。

一人一人の人物や風景の一つ一つに、その背負ってきた人生や時間が感じ取れ、わたしはそこに一つ一つの「心」をみつけた。創り手の「意図」はもちろん、その介在も感じさせないほど自然に。

モンチョ自身も、きっとニュートラルな存在なのではないだろうか。自分の心の赴くままに見て、感じる。そして、多分それなりの解釈を自分で加えるのだが、そこに「聞き手(わたしたち)にどう思って欲しい」という「意図」はもちろん働かない。

映画の宣伝文句にも「先生との心のつながり云々・・・」とあったけど、それは見る側の解釈すること。わたしは、そんなに先生との絆は感じなかった。モンチョは先生の教えてくれる「知識」は大好きだったけど、決して先生べったりではなかったと思うし。

創り手は、モンチョの目を通した周りの人々を、風景を、その心をスナップして「モンチョのアルバム」をつくったのではないかな。その中にあるメッセージをどう感じるかは(あるいはメッセージが在るか無いか判断するのは)、わたしたち一人一人の決めることなんだろう。

さて、さまざまな解釈があるラストシーンだが、わたしは、ただモンチョは先生に「さようなら」を言いたかったのだと思った。自分の中に解釈できない気持ちの高まりがあって、プラスでもマイナスでもなく、ただこみ上げるものがあって、走り出したんだと、叫んだんだと、石(=意思。意志ではなく)を投げたんだと感じた。

ともあれ、社会的なこと、自然への興味については無垢でニュートラルなモンチョも、大人のエッチシーンを見て「あれは愛じゃない」と断じたり、兄の失恋を訳知り顔で慰めるあたり、立派におませで、イヤなガキである。(嫌いじゃないが)

(評価:★4)

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