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[コメント] パピヨン(1973/米=仏)

終わり無き日常 と称される現代において再評価されるべき映画。パピヨンが夢の中で神と問答するシーンは圧巻。飽くなき逃走の果てに手に入れるべきものは何か、閉塞した平成不況の今だからこそ見直したい映画。勇気がわいてきますぜ
相田くひを

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







リストラされたお父さんに パピヨン

 私はいままでに3人の男から映画パピヨンの話しを聞いたことがある。いづれも熱い話だ。この映画は語らずにはいられない熱さを秘めている。だからこそ、30年前の映画だというのに映画の舞台となったギアナの島には年間8万人もの観光客が訪れるのだろう。  12年前、大学4年生の時、知り合いの韓国人に金テーフンという経済学の博士がいた。彼は韓国人留学生のボス的な存在だった。  当時の私は(今もか)怠惰な生活をおくっており、部屋の中はぐちゃぐちゃ、朝の5時にビールの自販機前で販売解除を待つような駄目っぷりであった。話は代わるけど朝日の中で飲む酒は、ああ今日は1日台無しだ〜と決意あらたに駄目になる味がするね。  そんな時に金テーフンからこんな言葉を投げかけられた。 「相田ちゃんはパピヨンが夢の中で神様にいわれた言葉を知ってますか?」  何度か話には聞いていたのだが、観たことはなかった。すると、金テーフンはさも呆れたような目つきながら優しくいった。 「いい映画ですから観なさい。」  さっそくレンタルビデオを借りてきて観たのだが、自分の馬鹿さ加減に恥じ入った。更にガキの馬鹿げたプライドもあり、恥じ入るあまり金とは疎遠となってしまった。伝え聞くところによると米国で研究者になっているようだが、いつか会うことがあれば、真っ先にこの映画の話がしたい。私は何度も繰り返しこの映画を観ては励まされているのだ。

 あらすじはフランスからアフリカの監獄島に送り込まれた主人公パピヨンが脱走をするという単純なものだ。スティーブ・マックイーン演じる主人公のパピヨンと、ダスティンホフマン演じる贋作師ルイ・ドガはあらゆる意味で対照的な存在で、極限状態のにある中人間の尊厳とは何か、描き出していく。  騙され辛酸舐め尽くしたパピヨンはあくまで自分の力で地獄の刑務所から脱獄しようとする。しかし、ドガは故国に残してきた女房の力にすがる。そんなドガにパピヨンは「無駄だよ」と諭すが、ドガは女房を信じて疑うことはない。しかし、パピヨンもまた極限の中で誰かにすがり、裏切られてしまう。

 だが、パピヨンはけして裏切るような真似はしない。一回目の脱獄に失敗したパピヨンは2年間監獄にぶち込まれる。そこは囚人を教育したり更正させる施設ではない。絶え間ない抑圧を加えて囚人の自我を奪い去り、従順な犬へと変える施設だと刑務所の所長はパピヨンに告げる。親友ドガはパピヨンへこっそり椰子の実を届け、気遣うがやがて刑務所の知れることとなる。  椰子の実を渡した奴だ誰だ、と所長はパピヨンに詰問する。恐らくは・・・囚人の食事係が運び役だから、そこをつつけば犯人は容易に分かるだろう。しかし所長はパピヨンの口から真犯人を語らせることで、彼の尊厳を崩そうとする。食事の量を減らし、陽の光を遮り・・・彼は試させれたのだ。そして有名な神と問答をする夢のシーンになる。

 俺はポン引きなんか殺してはいない。ハメられたんだ、俺は無罪だ。神は判決の不正を罵るパピヨンにむかい言う。そうだ、お前が冤罪なのは分かっている。しかしお前は人間において最も重大な罪をおかしている。それは・・・人生を無駄にしたことだ。

 パピヨンが自らを「ギルティ(有罪)」と呟きながら砂漠を彷徨するシーンは、この映画最大の見せ場であろう。それでも、パピヨンはくじけそうになる。栄養失調で奥歯がぽろりと取れたことに恐怖したパピヨンは、ドガからの椰子の実に添えられていた”励ましの手紙”を証拠として所長に差し出して、食事の量を増やそうとする。しかし・・・傲慢にパピヨンを見下す所長の冷徹な視線にパピヨンはハっと我にかえり告発を思いとどまる。所長は 死ぬがいい と吐き捨ててその場を去り、パピヨンは迷わないために手紙を食べてしまう。そして、ゴキブリまで食べて刑期を満了する。人の尊厳とは死に勝る価値があることを迫真の演技で示してくれる。

 さて、すっかり体がボロボロになったパピヨンはドガと再会し、刑務所の中の病院で療養生活を送る。それでもなお、彼の脱獄にかける執念は消えない。と、ここからの脱走憚こそが面白いので詳細は書かないが(ちょっと胡散臭い話だし)、パピヨンは再度捕まり、また監獄へ戻されてしまう。

 最後のシーンも好きだ。老人となったパピヨンはドガと再会する。すっかり萎縮してしまい小市民と化したドガは己を恥じてか、昔の同志に合わす顔がなく逃げ回る。だけど、ファーストネームのルイと呼ばれて顔に生気が戻る。誰もその名前では読んでくれないんだ。そしてパピヨンは更なる脱走計画をドガへと持ちかける。

 やがて、パピヨンは入り江に打ち付ける波にうまく乗れば外海に出られ、脱走出来ることに気付くが、試しに投げ入れた椰子の実の浮き袋は岩に叩きつけられて粉々に砕けてしまう。落胆するパピヨンを残し、ドガは静かにその場を去っていく。だけど、パピヨンはまだ諦めない。やがて、波にリズムがあることに気付き再度ドガと脱走を試みる。

 でも、ドガは崖の上まで一緒に来たのだが、そこで踏みとどまる。二人とも既に過酷な刑務所暮らしは終わり、祖国へは帰られないながらもギニアに小さな家と畑をもっている安定した暮らしだ。しかもドガの女房は助命嘆願をしていた弁護士と再婚してしまっている。彼はもう脱獄する気持ちが萎えていたんだ。二人は抱擁をかわし、パピヨンは浮き袋と一緒に海へと飛び込み、ドガは笑顔で見守る。何かと対照的なパピヨンとドガ、当然ドガは負け犬ムードで語られることが多いのだけれども、このラストには諦念に踏み止まる意志を感じさせてくれと不思議と惨めさはない。そして外海へ出たパピヨンは浮き袋の上で天を仰ぎながら叫ぶ。 「どうだ、馬鹿野郎(バスタード)、おれはまだ生きているぞ!」

 この話は実際にあった話を元にしているというが、著者の元囚人の話には信憑性がなく、偽作との噂が絶えない。しかし、泥棒日記のジュネをはじめとして作品と著者はまったく別物であり、悪党が書こうが物語が価値をもつのは当たり前のことである。なにより、人の女房は元ソープ嬢と告発するような厭さがついてまわるほど国や文化、年月を経ても人々の琴線に触れる名作なのである。

p.s. かなり青臭い映画なんで映画好きにはいまいち評価低いけど、これ北朝鮮でロードショーしたら暴動になるほど熱をおびた映画に思えるなぁ。

p.s. 最近、ハンセン氏病にからめたコメント多いけど、あの映画の背景って、欧州からハンセン氏病でアフリカに棄民された人の話なんすよ。別にとってつけた脚本というわけじゃない。あの状況下でパピヨンに協力できるのは、世間から捨てられた人々だったわけさ。 でも・・・なんとなく第二の逃亡の話は胡散臭いとわしも思う。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)狸の尻尾 スパルタのキツネ[*] おーい粗茶

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