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[コメント] 犬神家の一族(2006/日)

池内万作、太ったなぁ・・・は別にして、オープニングの「エヴァンゲリオン」的表記はやめてください。(←コレはこっちが元祖では?というご指摘を頂きました)(※大いに原作のネタバレあり)
プロキオン14

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







いやぁ、30年たっても、石坂金田一は変わっておりませんでした。そして映画自体もほんとに何のヒネリもなく、そのまんまだったのには唖然。ひょっとして脚本や演出も、キャストが入れ替わっただけで、まったくおんなじではなかろうか?

まず、犯人。これを変えてしまってはストーリーが別物になってしまうので、仕方ないと思うが、前作映画を含めて、TV版や、2時間ドラマ、別の映画企画などで繰り返し引っ張り出される、横溝正史の一番の代表作。だから「史上最大のミステリー」などと銘打たれても「何でいまさら」って気もしないでもない。

いわゆる「トリック」にあたる部分。佐清と静馬の入れ替わり。それを喚起されるセリフをしゃべりすぎ。「顔を隠した人物が2人いたわけですね・・・」なんて早々と金田一に言わせたりして。さらに復員服の男の「目」を隠さないから、「尾上」だということが丸わかり。

かつて横溝正史は『黒猫亭事件』の中で、「推理小説にはジャンルがあり、読者は小説を読んでいくうち、「ああこれは<密室殺人>だなとか、<顔のない死体>だなとか思い、読んでいくのだが、<一人二役>だけは読者に看破された時点で作者の負けだ!」といっている。それを自ら暴露してしまうなんて。どちらかといえば、今作も前作も、華々しい「見立て殺人」や「仮面の佐清」という強烈なキャラクターばかり目立たせていて、肝心の「トリック」という部分は「おざなり」になっている。

たとえば佐智が殺される夜の話。原作では死体は珠代にイタズラしようとした旧犬神邸屋敷で発見されている。つまり本屋敷からずいぶん離れた旧邸で復員兵に倒されて、猿蔵に珠代を連れて行かれ、そしてその現場で死体が発見されることにより、「そこで犯行がおこなわれた」と思わせ、「お琴の稽古をしていた○○さんは、少々中座しただけで、殺しに行く時間などなかった」というアリバイを助ける意味があったのだ。そして実際は佐智がボロボロになって屋敷に戻りついたところを、背後からやすやすと絞殺される「だけ」。そしてまた復員兵の手によって旧邸に運ばれ、偽装されるもの。

そういえば、「殺人者」と「見立てた協力者」が違うことを、佐武殺害のとき、早々と金田一が見破っているが、このとおりトリックが軽視された状態では、知らない人は「はぁ?金田一何いってるの?」何てことのなるのでは?

もうひとつ、「斧(よき)琴(こと)菊(きく)」の見立てでは、原作ではもっと頭を使っている。琴と菊で殺人が行われていた以上、金田一も言っていたが、「もうひとつ、斧が残っているでしょう?」ということで、屋敷中の斧が処分されていた。だからこれは復員兵の助けではなく、○○自身が知恵を絞って考え出した、すばらしい見立て。佐清こと静馬がさかさまになって湖の中に半分だけ体を沈めているので、「すけきよ」のさかさまで「よきけす」、の下半分が水没しているので、「よき」になる・・・、これ、すごくない!やっぱりこれだよ。でなければ、あの「足ニョッキリ」には意味がなくなる。

それに原作には「伏線」もある。菊人形5体。犬神佐兵衛翁、珠代、佐清、佐智、佐武(の生首)が並んでいたが、詳しいことは忘れたが、その配役には意味があって、佐兵衛に言われて猿蔵が作ったものなのだが、それを見ると珠代の姫様と、佐清の役は恋に落ちる役で、「佐兵衛翁は珠代と佐清を結び付けたいのか?」と金田一が思う場面があります。最後の告白のシーンで「佐清、なぜあなたはもっと早く戻ってきてくれなかったの?そうすれば珠代さんがあなたを選ぶことは判っていたのに・・・」と、○○さんも知ってるいい仲だったんだろうね?そのあたり。映画ではちょっとなぞっただけだったけど。

もうひとつ松子のお琴のお師匠は、実はかつて三姉妹が虐待した青沼菊乃本人であったのね。で、稽古が終わったあと、佐清の静馬が、師匠を玄関まで手をとってお見送りするという、「名乗れない親子対面」があったりもする。

さらに最後の告白シーンで○○さんは珠代に、小夜子のことを話します。「あの子は近く子供を生みます。父親は佐智で、竹子と梅子の孫に当たります。その子を将来犬神家の事業に参画させてほしい。それが竹子と梅子への罪滅ぼ・・・し・・・」といいかけて事切れます。そういういい場面を全部排除されたまま、30年前の丸々コピー?をいまさら見せられても困ってしまいます。

かつて横溝正史の小説を読み漁ったものとしては、許せないもの。横溝ブームを作った功労作であった旧作はともかく、今作はとても評価できません。この3点は原作の横溝正史と、いつまでもかわらない石坂浩二に対してです。

※)死ぬまでシネマ様より、冒頭の極太明朝体表記は、こっちが元祖ではというご指摘を頂きました。そんな気がしてきました。そうかもしれないです。ありがとうございました。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (4 人)紅麗[*] おーい粗茶[*] 死ぬまでシネマ[*] sawa:38[*]

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