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[コメント] BPM ビート・パー・ミニット(2017/仏)

前半の、「過激な活動」にガッツリ引いたのは確かだが、それは本質ではなく、「生きる/死ぬ」のはざまでの「証」。彼らは残り時間の判らない「砂時計」を背負っている。
プロキオン14

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







日本でだって、「エイズ」=「ゲイの病気」という形で知れ渡った。その後、「薬害エイズ」の問題も明るみに出て、それでも「偏見」「差別」は明らかだった。自分が「いつ感染するかもしれない恐怖」は、新たな差別を生み、感染していても「公表」も「相談」もできない事態に追い込まれていた。そんな時代に生きてきて、その空気を肌で感じていた。芸能人が「検査に行こう」というCMに出ていたが、やっぱり「自分だけは違う」という意識はだれしも持っていて、知らない間に「誰か」にうつしているかもしれない。そして「その誰か」は「違う誰か」にうつしているかもしれない。

劇中で高校生にコンドームを配布しようとしる場面がある。戸惑う学校関係者もいたが、ある教室では女性教師が「この方たちが、大切な話があるそうよ」と、生徒たちに耳を貸すように促すシーン。この教師は「荒っぽいACT-UPのメンバーと諍いを起こしたくない」と思ったのかもしれないが、私には「これは重要なことだから、ちゃんと自分で考えてほしい」と生徒に感じてほしかったから教壇を譲った、と思いたい。しかし終業のベルと共に、生徒たちは興味なさげに教室を離れる。そのあと女子高生がコンドームを「必要ないわ、だってゲイじゃないもの」と言い放つ。目の前でショーンはナタンにキスをする。「OOPS!」と私でもいきなりだったら言いそうだが、その女子高生の「誤解」は、みんなの認識であり、結果的に感染に歯止めが利かなくなる。だから彼らは声を上げる。政府を、製薬会社を、糾弾する。「自分たち」を増やさないために。自分たちに光明を見つけるために。

2時間を超える、やや長めの映画だが、気が付いたら時間が過ぎていた。前半であれだけ活動的で過激だったショーンは、終盤に発症、日に日に衰弱してゆく。最後のナタンの「行動」は衝撃だった。衰弱した恋人を楽にしてあげたかったのか、それらを背負い続けた自分に限界が来たのか、その気持ちは簡単には語れない。肯定はできない、共感もできない、でも「なんか判る」気もする。ショーンの死後、ナタンは別の男に(チボーだった?よく判らんかった)「今晩一緒に?」と誘う。「はぁ?」と思ったが、セックスの後の「慟哭」は私の心に届いた。忘れたい、紛らわせたい、でもそんな事はできる訳がない。そして自分の行動を、自分で肯定できるはずもない。そんな「慟哭」だった。

時は流れて、今。エイズは「死の病気」ではなく、ちゃんと治療・投薬を受ければ「生きられる」病気へとなったが、やはり「偏見・差別」は、口にしないだけで「存在する」。そして「予防」も「検診」もあまり進んでいないと感じる。今の現状を見たら、当時の彼らは何というだろう。劇場を後にした私の足取りは重い。

余談:劇中流れるブロンスキー・ビートはイギリスの三人組で、三人ともゲイであると公表していた、当時としては珍しい歌手で、「SMALLTOWN BOY」は、小さな町で、ゲイとの差別に抗う内容の歌だった。全英で大ヒット。しかしボーカルがその翌年に脱退し、残念ながら長く続かなかったグループ。この曲が効果的に使われているが、ある意味彼らのテーマソングみたいだ。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)ぽんしゅう[*]

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