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[コメント] 動くな、死ね、甦れ!(1989/露)

恐るべき子供、カネフスキー
くたー

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







まずは今までにないタイプのロシア(旧ソヴィエト)映画の登場に驚く。ロシア映画というと思い浮かぶのは、例えば(共産主義下の)社会的なもの、歴史や文学の映像化、内的世界の深淵に糸を垂らすような思索の世界、そして少しのコメディ、青春ものやファンタジー。そのどれでもない世界がここにはある。思索に耽ろうとするのをアクションが拒み、喧騒が遮り、踊りや歌がかき乱す。とにかく考えるヒマもなく、まずは見ることや聴くことを否応なしに強要される(さながら「見ろ、聴け、思考を止めろ!」といった趣)。

舞台のスーチャンという村がまた独特の世界。ぬかるみ、水溜り、氷、雪、冷気を孕んだ深い霧、壊れそうな家並み、金網や柵で囲まれた土地、遠くで聞こえる日本兵の捕虜の歌。どこまでも厳しい現実ながら、時に異世界に転じそうな独特の質感を感じる。ただその秘密は、風景そのものにある以上に、カネフスキーの現実を見つめる視線の強度にあるように思える。

対象をあまりに凝視しすぎると、意識をどこかに持っていかれるような危うさを感じることがあるが、この映画の中にもそんな瞬間が度々訪れる(顔の造りが溶け出すアップのシーン、遠くに見える火刑執行、逃避行の列車の中での夜のシーン、返り血を浴びた主人公の茫然とした表情、等・・・)。ただ監督の恐るべきところは、それでも悪夢や幻想や喜劇や悲劇といったモノに世界が転じることなく、あくまで現実にまっすぐ視線を固定しているところである。そのストレートな視線の強度は、(ある程度)ドラマの力で奮い立たせるケン・ローチ監督の視線などとは、また次元が違うような気がする。ではその強度の秘密は何かと言えば、(あまりに安直だが)監督の青少年時代の過酷な生活や経歴(スーチャンで育ち、無実の罪で8年シベリア送りにされている)が培ったものであるという解釈が、妥当かと思われる。

彼自体が受け入れたり拒んだりする以前に、過酷な現実をまざまざと見ることを強要されて生きてきたのだろう。映画を撮る時の監督は、そんな子供時代の視線や聴覚を再現するところから始まっているように思える。感傷もない。解釈もない。ただひたすら目の前にある現実を目や耳で追うことが全てだった頃。そんな研ぎ澄まされた感性が、描写に独特のリアリティを生み出している。

最後にラストについて。近くにいる無邪気な子供を写した時点で、「子供はいい、彼女を写せ」と指示したのは、少女の死による感傷よりも、少女の死が現実に波及したものを写しとっているかのようである。どこまでも無心に現実のアクションを追いかける。そしてその時点で子供が主役であるということ以上に、カネフスキーの視線自体がどこまでも恐れを知らぬ子供であるということを、思い知らされる瞬間であったりもする。

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告白(つーか蛇足): 実は2度目の鑑賞。ロードショー時に見た時はただただ圧倒され、茫然と見送ってしまった感じで映画が終わってしまったのだが、今回ビデオで再見して、ようやく少し理解できたような気がします。でもまだ何か書き足りないというか、胸のつかえが取れないというか・・・。今後また見て、より理解を深めてみたいと思う映画であるのですが、この思いだけは一貫してます。「妥協なきものを前にしたときの恐れを含んだ感動(喜びと言ってもいいかもしれない)」。いまだにうろたえ続けているだけなのかもしれない、時折そういう気がしたりもします。

(評価:★5)

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