[コメント] クーリンチェ少年殺人事件(1991/台湾)
錯綜した時代の中で、大人たちでさえ自分たちが置かれている状況に困惑しながら、本土返還やアメリカに思いを馳せていた台北でのお話。
確固とした指標も導いてくれる大人も見出せなかった子供達が、それでも何か信じられるものを求める気持ちは抑えきれない。そのやり場のない渇望のエネルギーは、アメリカかぶれとか恋愛とか、結局大人の世界やスタイルを自分なりに聞きかじってにわか知識で出来たような世界を創ることで、何とか折り合いをつけようとする。でも確固たる土台も持ち合わせない世界だから、モロく危なげな世界だったりもするけど。
所詮にわか仕立てのモロい世界だから、何かあるとすぐに揺らぐし、崩れれば信じてたと思った子供たちは心に傷を作ることすらあるかもしれない。そして傷を作りながらも、また新しい何かにすがろうとする。大人たちからみたら無様な世界かもしれないけど、子供たちからすればその無様さが、感情で創られたからこその「リアル」なのではないだろうか。だから「君を守ってあげる」「私は世界と同じで、かえられない」なんてお世辞にも気の利いた言葉とは言えないセリフや、あっけなく殺してしまったりする性急ささえも、この無様な世界の中では逆に感情の無様さ故に「リアル」。子供たちに決して気の利いた事をやらせない監督は、やっぱり素晴らしいと思う。
だから映画のなかでは、別に誰かが泣いたり叫んだりしなくても、幾度となく子供達が心で血を流してるのが、やりきれない位伝わってくる。子供たちの世界自体がやり場のない切実な感情だけで出来ているから、そこから幾度となく叫びも聞けるし怒りも感じるし。
滅多に出会うことのない素晴らしい映画だと思う。そして(切り口は全然違うけど)ホウ・シャオシェンの映画がそうであるように、生活の中から社会が見えてくし時代背景も見えてくる。そしてこんな風に生活を描いて歴史が見えてくる優れた日本映画は、と聞かれてすぐに思い浮かばないことを少し悲しく思ったりもする。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (8 人) | [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。