[コメント] TAKESHIS’(2005/日)
前半はまあ楽しめたのに、後半になってから完全暴走しちゃうので、捕まえるのにほとほと疲れ始め、自分の中で醒めた感覚が出て来はじめたら、TAKESHIからまとわりつかれないように距離を置きはじめた。
北野武の映画を見てこのような感覚は初めてである。
ラストも、シンメトリーを意識したところで、もうこの作品は暴発しちゃったかな、と思っている。次回作はどうなることやら、今から心配し始めている。
北野の映画はかなり好きな方である。初期から全部見ている。一番好きなのは今でも「その男凶暴につき」なのである。あのタッチはまさに北野である。その北野、前作「座頭市」で念願のお金が入ったからなのだろうか、今回はかなり自由度の高い映画を僕らに見せてくれた。
おそらくこういう映画を作りたかったのだろう。映画作家って、どうしてもフェリーニの8・1/2のような自己吐露映画を撮りたくなるのだ。
ベルイマンの「野いちご」、アンゲロプロスの「永遠と一日」など優れた作品も多い。
しかし、武の本作は僕は彼の作品の中でも一番低い採点となったのではないか、と思う。
夢の中の話が多いのに自由さがだんだん狭められていく感が強いのは映画を作ろうとしている彼の思いが強すぎるからなのではないか、と思う。すなわち、シンメトリー的な変な様式を意識しているのはまさにそう。
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