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[コメント] 東京物語(1953/日)

先日たまたまBSで放映した東京物語を見た。デジタリーマスター版ということで、雨がなくなり音も明瞭。素晴らしい映像になっている。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







この映画は映画館では見たことはないが、実際すでにもう10数回見ている。今回あっと思ったことがある。何故気づかなかったのか、と不思議だ。それは主題は家族のつながりだと思うが、血の通う身内がとても金銭面からか、親につらく当たるのだ。

その反面、例えば長男(山村総)の妻(三宅邦子)は血のつながらない親を思っている。長女(杉村春子)の夫(中村伸郎)は高価なまんじゅうを親のために買ってきたり、東京見物をさせないといけない、なんて思っている。

長男と長女は東京で必死の生活をしているが、それでも町医者だったり、美容院を開いたりして一応の成功者である。いつも、まず金の想念が強く、自分を変えず、暇がないことを理由にエゴのために親をたらいまわしにする。美容院の客から「どなたですか?」と聞かれて「知り合いです」と答える長女はもはや筆舌に尽くしがたいほどの人非人である。

あまり目立たないが、大阪に勤める三男の息子も大阪で親を介抱した後も見られないし、ましてや親の死に目に会えなく遅れて尾道にやってくる。しかし、葬儀後、長男、長女と同じく無責任に次男(すでに戦死している)の嫁(原節子)に後を任せさっさとそれぞれの生活の下に帰ってゆくのである。

尾道で親と同居している次女はそんな兄弟に目くじらを立てるが、嫁は働いていて忙しいはずなのに最後まで尾道に残り(恐らく初七日までいたのだろうが)それから東京に旅立っていく。彼女は東京から来る時、長男、長女のように喪服は用意しなかった。

また、葬儀では例えば長男、長女のつれあいが不出席だった。ましてや子供は遠地から来ることもない。現代のように新幹線もない時代は、意外と葬儀は簡素に、身内で済ますことが多かったのだろうか。

このように、小津の家族への不寛容ぶりは想像を絶するものがあり、かなりの絶望ぶりが垣間見える。血のつながりより、赤の他人の方がむしろ家族だったような描きぶりは、それは彼一流の逆説なのだろう。

当時より既に60年たった現代の家族はどうなのだろうか。親が死んでも、年金欲しさに白骨したままの親と同居する子供たち。もはや隠居といった言葉が死語化する現代においての家族の崩壊を小津は当時から予測していたのだろうか、、。

この映画は意外と壮絶な家族物語なのである。そこにあるのは個人のエゴとエゴ。本質的には現代の情勢と全く変わらない残酷さが見える。いわんや、決してほんのりとした優しい家族愛の映画ではない。でも、だからこそ映画史上でもベスト1と言われる映画なんです、よね。

(評価:★5)

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