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[コメント] ゼア・ウィル・ビー・ブラッド(2007/米)

狂気、欲望、無信仰、孤独、そして血というものを原油が噴出するように荒々しく描きこむ男の精神史。
セント

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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100年ほど前の話なんですね。ゴールドダッシュが終わり、新しい時代を迎えていたときの話だ。

最初の20分ほどのセリフなしの映像の連続には驚愕する。アンダーソンの心意気が見える。

2時間40分、男の心情を象徴する不協和音が鳴り響く。ある意味、この映画の主役はダニエル・デイ・ルイスであり、音響であり、さらに醒め切った映像であります。

ものすごい映画を作ってしまったんだなあ、というのがまず最初の感想。この映画を見てしまった人たちは幸か不幸か分からないほどアンダーソンの世界に監禁されてしまうことになる。空は見えるんだけど圧迫された閉所にいる感覚がずっと付きまとう。そこにダニエル・デイ・ルイスの狂気とあらゆる方向からますます音響の高まる弦楽器が鳴り止まない。

この映画の特徴的なことは女が不在だということだ。教会場面で多少女そのものはいるがモノとしての女であり、肉感的な捉え方をしていない。その代わり家族への想いは全編通じて強いものがある。いわゆるブラッドである。それを具象化したのが原油だと思われる。吹き出る血縁への想いが原油を彷徨って男を行動させる。

緊張感が続きテンションが高いこの映画の中にも二つほど男を迷わせる部分がある。

一つは息子である。捨て子をビジネス上利用はしているが、息子として愛そうとしていたのである。ブラッドを信じようとしたのである。しかし、息子が弟を放火で殺戮しようとしたことから、(映像的には家を放火しようとしたというより弟を殺そうとしていたように思える。)血縁でない息子を捨てる。更にラスト近くでは息子にただの捨て子だったと追い討ちをかけるように言い放つのだ。

次は弟の部分である。二人で水浴しているときにふと男は本当の弟ではないのか、といった表情をする。水浴が引っかかる。ここが微妙なんだが、ひょっとして男は女を愛せない性癖のある人間であることを暗喩しているのではないか、と思った。そう考えると、この映画に女の匂いが全く欠乏している理由も分かる。

男は神を信じていない。誰も頼らない。自分以外は誰も信じない。擬似的な息子、弟に時間を弄することはあったが、結局自分以外は信じられない。ましてや愛というものさえ信じない。信じたいのだけれど、信じられない。対極的に出てくる神父は自分自身の裏表の姿であり、いわば自分の分身なのだ。だから、ラストで自分自身を殺戮することになる。

人間って、孤独な生き物だ。だからこそ誰かと共に生きようとするのだが、彼はそんなことをせせら笑う。所詮人間は一人で生まれ独りで死んでゆく、そんな存在なんだと言っているように、、。

アメリカ、どうしたんだ。「ノーカントリー」然り、本作のような作家映画を立て続けに輩出させ、今までにない局面だ。アンダーソン、「マグノリア」で世界の映画ファンを狂喜させたが、本道でも十分才能があることを証明した。10年に1本の秀作であろうと思う。

(評価:★5)

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