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[コメント] 悪人(2010/日)

今かろうじてその日を耐え、生きている人たち。底辺を支える肉体労働者の若者。叔父の経営する解体作業を黙々とこなす。家に帰れば離れたところにある風呂場へ寒いのに裸のままで移動するしょぼい家屋。そして、
セント

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







祖母との質素な夕食。祖父を想う気持ちも強いいい青年なのだ。

でも彼には空白がある。心はさまよっている。両親がいない。自分を見捨てた母親の存在も後で分かってくる。物心ついて偶然居たところは、経済的にも家族的にも社会的に見捨てられたかのような閉塞感の充満する場所であった。彼にとっては家から見える広大な海でさえ行く手を遮る水辺でしかなかったのだ。

30過ぎの未婚の女がいる。狭いアパートに妹と同居しているが、男を連れ込む妹に多少の嫉妬とセックス欲求を感じている。彼女も社会の底辺で蠢く女性であるが、普通のいわゆるその他大勢の人である。しかし、ふと感じる空白は日ごとに大きくなっている。

九州一の都会に出て、現代を生きようとしている女も現実の壁の大きさに戸惑っている。彼女にとっては虚栄だけが彼女を守る守護神となっている。親の反対を押し切って都会に出てきた女性、彼女もごく普通の現代女性である。男も求めたくなるのは仕方がない。

しかし、彼女は自分の心の空白すら気づかなかったようだ。仕事もうまくいかなければ親に頼み込み、今だに実質的に自活出来得ていない。そんな彼女も一応上昇志向はある。いいオトコと一緒にいたい。出来たらいい生活をしたい。ごく当たり前の気持ちである。彼女も社会を支えるその他大勢の女性である。

郷里では大きな旅館を営んでいる遊興大学生。しかし脳裡は蚊トンボほどの質量しかないのか、ふらふら人生を生きている。彼の内実は映像に描かれていないので、彼が一番劣等な人物に見えてしまう。でも、本当にあんなことを彼が思っているのかどうか、実は疑問なのである。

彼の携帯にどうでもいい女から執拗にメールが入る。迷惑以外の何物でもない。そんな女と偶然ばったり遭遇してしまい、無理に女を車に乗せざるを得なくなってしまう。狭い小さな空間に、だんだんすり寄ってくる不快な気持ち。別に分からないでもない。すぐに車から降りてもらいたい気持ちも分かる。気持ちが高ぶって降ろしてしまう子供ではあるが、、。

でもそんなちょっとしたことがこの事件の発端となってしまう。無理やり降ろされた女は人生初めてといった屈辱に耐えなければならない。まさに死にたいぐらいの気持ちだっただろう。その場に、振ったはずの男が近付いてくる、、。

ホント、偶然が偶然を悪くする。映画だから、とか小説だからとかよく言うけれど、現実には悪い時にさらに悪くなる偶然というのはよく起きる。特に僕(の周り)には多い。だから人生ってそんなものだろうと思う。受け止めるのもその人の人生だ。

と、そうするとこの映画には映画題名の悪人はいないということになる。現代社会がピラミッドのように三角形を呈しているのなら、底辺層を構成している人たちである。てっぺんに位置している人たちがちょっとねじるだけで、何倍も揺られただ耐えなければならない人たちである。

けれどそういうその他大勢の人たちでも、当然ながら心の拠り所を求めているのである。 若者と30路の女は出逢いの時を間違えた。というより、若者が殺人を起こさなかったら、女と出会うことはなかったのだから、人生って不合理である。

それでも、彼らは数日であろうと、真実の愛の時間を経験できた。人を想う気持ちを体感できた。彼らの空白の時間は初めて彩りで染まることになったのである。ただなんとなく生きている人たちより、時間は短くとも凝縮した本当の人生を経験したのである。

女が事件後また元の職場に復帰したことから、若者が逮捕される寸前に女の首を絞めたのも、彼女を被害者として印象付けたいがためだったというのも分かる。

今、大切なものが映画の言うように本当になくなって来ているのであろうか、、。それだとしたら、それを笑う人を非難するというのではなく、大切なものを取り戻す、もしくはこれ以上なくさないように一人ひとり努力すべきではないか、と思う。そして、それを現代社会のひずみなどのせいにしない強い意志が必要ではないか、と思う。

秀作である。社会から見捨てられようとする人たちへのまなざしが嫌に痛い。今、日本人が一番見て欲しい映画でさえある。

演技的には主役の二人。本当によく頑張った。妻夫木聡は寡黙で目だけでの内面的な演技は 特筆もの。恐らく彼の代表作になるだろう。

深津絵里も動的な演技を要求させる難役だが、見事それに応えた演技で女優賞も納得。相変わらずの樹木希林の演技もこれ以上ないほどの完成度。そして枯れてなお生きることの意味を説く柄本明は映画を観終わっても感動をとどまらせないほどの力演。凄味を感じた。また満島ひかりの若いのに堪能な熱演。この人はすごいです。

映画を観終わってからも徐々に感動が広がって来る映画というのも珍しい。恐らく今年のベスト3には入る作品だろう。こういう映画を見ると本当に映画ファンでよかったなあと思えます。

(評価:★5)

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