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[コメント] 影武者(1980/日)

外国人による総指揮という屈辱(もちろん厚意なのだが)。10年ぶりの日本での監督作品という全世界の映画ファンの期待。キャスト、スタッフとの軋轢。凄まじいプレッシャーの中で、とうとうやってしまった巨匠の「底抜け超大作」。
ジョー・チップ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







奇妙な映画だと思う。壮大なストーリー、大金を掛けた大掛かりな映像。にも関わらず、ものすごく影の薄い映画である。変な言い方だが、黒澤映画では画面から発せられる問答無用の圧迫感を感じるものだが、この映画には感じられない。サラっとした脱力感がある。思い切って言ってしまうが、演出、映像、演技、ともにやる気が感じられない。

人間が小さく見える(顔のアップがない)ので誰が誰やらわからない。同時録音なのだろうか、セリフは何言ってるのか分からない。 公開当時、黒澤監督の仕事ぶりを撮影した番組もあって(メイキングみたいなやつ)、その番組で今でも印象に残っているのが、やたら俳優を怒鳴りつけるるシーンだ。監督はきびしい!映画に対する情熱が桁違いだ、と印象付ける狙いがあったのかもしれないが、反して異様な印象を受けた。特にお館様には女人は禁止!といって幹部一同で大笑いするシーンがあるのだが、ここで監督が「大滝ィ!!!」と大声でどなりつけたのには驚いた。どっちが年上だか分からないくらい年長の大滝秀治に対してそこまでどなるか。ここでいろいろ小言みたいなことを2,3言って撮りなおしてまたみんなで笑う演技をするんだけどまた「大滝ィィ!!!」て。どこがどう違うのか全然分からないし何で大滝さんだけなのかも分からんが、とにかくこのみんなで笑うシーンを何べんも繰り返していた。とにかくここでの黒澤監督は偏執的に怖いおっさんだった。

今回20年ぶりくらいに初めてスクリーンで観たがこのシーン、なんてことないシーンであんなにねばった意味が分からない。構図も中途半端だ。この時代、黒澤は俳優を全然信用してなかったんだろうなあ、と思う。三船、志村がいたころは・・・とか思いながら監督していたのだろうか。ましてや時代劇で、スクリーンに耐えられる顔が存在しない、と思ったのだろう。これは実は今日に至る重要な問題を提起していたのであるが(今や時代劇どころか、戦前戦中の軍人の顔を演じられる俳優もいなくなった)、そこで黒澤がとった選択が顔のアップなし、という演出だった。従って、黒澤得意の望遠レンズの効果も影を潜め、数人の人間をまとめて小さく撮る、というシーンが多くなった。その結果、荘厳な映像美と喧伝されたものの、中途半端な構図の中に人間がうろうろしているようなシーンばかりになった。これまでの黒澤独特の密度の濃い画を自ら封じてしまったのだ。 で、どうせろくな演技もできないのだからと演技も禁止?素人を公募して話題になった。その結果、徳川家康なんかなんの威厳もないただのデブのおっさんになってしまった。桃井かおり、倍賞美津子が出演してたんだとEDを見て初めて気がついた。

しかし、それならばロベール・ブレッソンの映画みたいに、全員素人で全編棒読みにすればよかったのである。そこまでやったらひょっとして日本映画界を揺るがす何かが生まれたかもしれない。しかしそこまで冒険はできないので、萩原健一などほんとに見苦しい演技をしている。いや信玄の息子は本当はあんなだったんだよ、なんてまさか言うまいが、監督は萩原を怒鳴りつけたのか。それどころか素人組に対しては、なんか投げやりだったんじゃないかと思われる節がある。孫が影武者に謁見し、しばらくして「ちがう、じじではない。」というシーンなんて思わず笑ってしまったよ。目が定まってないし、体落ち着きないし。影武者をジっと見定めてから言ったセリフとは言えない。ちゃんと子役を怒鳴ったのか?

野外ロケがひどい。姫路城や熊本城で撮っているのだが、観光地で戦国時代のコスプレをしているようにしか見えない。本当は、自前の城を作りたかったのだろう。自分の頭の中にある映画のテーマを体現するような野田城、安土城が作りたかったのだろう。しかしそこまで金は無い。苦渋に満ちた黒澤の顔が目に浮かぶ。いっそのこと城の外観は撮らない、と徹底した方が良かったのかもしれない(全員素人の棒読みで城も撮らないとなると、もうアバンギャルド映画の領域だろう。それはこの企画の場合、不可能だ)。

ラストの長篠の合戦は、当時は倒れた馬ばかり写していると酷評されたが、あれはあれでいいだろうとは思う。これはこの映画中唯一の美点ではないか。兵、馬が敵陣にどんどん突っ込む。鉄砲がババババババンと発砲する。さらに兵馬突っ込む、鉄砲が以下略。特攻である。むしろ死体の山もなにも映さず、味方陣地の人がどんどん減っていくさまを延々を見せつけてくれればよかったのだ。そうすれば金もかからないし(しかしやはりアバンギャルドの領域だろう)。そして、誰もいなくなった・・・最後に大将の座っていた椅子3つが空しく風に吹きさらされている・・・この映画で数少ない胸にせまるシーンである。

音楽は池辺晋一郎だが、良くない。死屍累々のシーンにあのラッパはないと思うが。妙に浮いた、軽い感じだ。黒澤はラッパが好きなわけではないと思うが。ここは無音だと思う。

良いシーンはさすが黒澤なのでそうは真似のできないものに仕上がっている。影武者は付き人の前で信玄の真似をする、ただ座ってボーとしている仕草さのだが、それを見て付き人たちは涙ぐむ・・・。影武者と彼らとの間にはいわゆる「奇妙な」友情(連帯意識みたいなもの?)が芽生えていたと思うが、実際のところこの盗賊上がりをどう思っていたのだろう、もっとその内心を知りたくなる。そのことは信廉にも当てはまる。あれは友情ではなかったのか・・・。影武者を描く以上、この辺のところは避けて通れないと思うが、映画はそのことに深入りしない。ただ根津甚八が追い出される影武者に傘を差し出すシーンにとどめている。 そもそもこの映画はあの盗賊がなぜ影武者を志願する気になったのか、亡き信玄になぜあそこまで心酔するようになったのか、題材の根幹に関わることにも深入りしない。

この題材は黒澤向きではないのではないか、と思う。山崎務のセリフではないが、黒澤はもっと「ズカっとした」映画向きではないか。要人が偽者にすり替わる・・・どうやって敵を騙しとおすのかという権謀術数、駆け引き、いつバレるのかというサスペンス、偽者を管理する幹部たちと偽者自身の思惑、駆け引き。まさしくインテリジェンスの世界だが、そんな繊細で隠微な話を黒澤がうまくやれると思うだろうか?この題材はひょっとしたらもっと別の監督(まあたとえば岡本喜八とか)がもっと低予算でとったら普通に面白い映画が出来ていたのかもしれない。

しかし考えてみると、そんな選択肢はなかった。すべて黒澤のための企画なんだから。役者は降板できても監督は降板できない。ちょっとした地獄であろう。

カンヌで賞をとったこの映画は、キネマ旬報ベストテンで2位に甘んじた。1位は『ツイゴイネルワイゼン』3位は『ヒポクラテスたち』。長らく撮影所で干されていた監督(鈴木清順)が自主制作同然で撮った作品、3位は自主制作上がりの監督(大森一樹)。古きよき60年代は去り、まさに日本映画界は価値観の入り乱れた下克上の時代となっていた。皮肉にも黒澤はいつの間にか信玄の立場になっていた。満身創痍でそうした時代に特攻したのがこの映画なのだろうか。そう思うと無論、愚作と切り捨てることもできないのであるが。

(評価:★3)

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