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[コメント] 華岡青洲の妻(1967/日)

姑に恋し憧れて家に入り、姑の息子だから青州を愛し姑を愛しつつも憎しむ…その反面、それを許してしまう相関関係の根底は、難解にして輝く擦れ違いの愛憎劇。でも悲劇であり逆説で喜劇だといえないだろうか。市川雷蔵が終盤で伊藤雄之助の顔に似てきた演出が結構好きでツボ。
ジャイアント白田

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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雲平は母を愛していたんだと思う。そして加恵が雲平の母、於継を愛していたのだと。雲平は母に弱い薬を飲ませ、加恵には強い薬を飲ませたは加恵の承知の上で行われたのだろうと思った。が、実家に帰った時に語った恨み節それ自体を検証すれば、それは逆にもなる。勝ちたい、雲平を我がモノにしようと奮闘する、一般的健全な女性になる。だが、子が死ぬシーンが来ると嫁姑双方が気持ちを通い合わせる。と思ったら、於継が死ぬと子供が暫し産まれ続ける。やはり姑に大してストレスを感じていたのだろう。で、夫婦仲が、最後に雲平が医療所を説明するシーンで、結束していたんだと分からせてくれる。

付いて離れ、離れては付く。この嫁姑の二人の女性は、男女の恋愛そのものであり、男女の結婚生活を現していると思うと、青州の医学への偏愛から嫁姑は自分たちで補完されていたのかもしれない。母親亡き後に雲平の余生に余裕と子が産まれる、雲平が妻によりそうまでの時間の隔たりが、作品の見事さを黙って物語っていたのではないだろうか。

それが出来たのは脚本、新藤兼人の要約の巧さと原作の光。巧い巧い。ただただ巧さに惹かれるばかり。チャンイーモウら愛憎劇職人に伝承していったのかと思うぐらいに、愛憎劇を短時間で説明するのが巧い巧い。スクリーンで見終えてから何回「巧い」を言ったか数え切れないくらいに「巧い」が自然と口から漏れるのが厄介で旨い。

2003/6/20

(評価:★5)

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