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[コメント] そして、ひと粒のひかり(2003/米=コロンビア)

「貧困のリアリティ」という壁か、或いは人物の愚鈍さへの苛々か。 2007年2月27日DVD鑑賞  先進国日本で生まれ育った人間の主観のレビュー→
ねこすけ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







麻薬をゴムに入れて、何十個も飲み込む。腹には子ども。そして旅立つコロンビア。自由の国アメリカへ。貧困から抜け出すために。

なんて並べてみて改めて心から思うのだけど、どうしてここまで登場人物は「馬鹿」に見えてしまうのだろうか、ということ。というかむしろ馬鹿だろ、とか。特に、主人公の女の子の「一本筋が通ってる」感じよりも、その友達の女の子の馬鹿さっていうか。人前で軽々と麻薬を見せてるなんて危機感乏しすぎ。っていうか持ち歩くなよ。金あるならコインロッカーにでも入れろよ。っていうかお前ら何で逃げてんだよ。麻薬渡せば殺されないことぐらい分かってるんだろ。――なんてことをグズグズと考え続けていると、気がついたら映画は終わっていた。

勿論、これは、この日本という国に生まれ、「物」に溢れた豊かな社会で、ちゃんと教育を受けて――「貧乏」こそ身近にあれど――「貧困」とは無縁の生活を送ってきた人間の主観であって、それがどれほどワールドワイドな視点を欠いた言葉であるかということも自覚している。だが、それ以上に映画という手段を以ってワールドワイドに訴えようと思うのであれば、当然そこに必要なのは、貧困の「リアリティ」であって、貧困の現実ではないのではないか。その差異を見誤れば、それは何の訴えも無い物語となってしまうのだ。貧困の現実は、ドキュメンタリーの見せる物であって、映画が描くのは常に「リアル」なのだ。それは、脚色された映画用の現実ということだ。

勿論、この映画だって、「現実」とやらをストレートに描こうとは思ってないのは分かる(だから主人公の成長物語にもなっている――あれ?あの子ってもともと気丈な子だったっけ?――のだし)のだが、だからと言って、この映画は語るべき物語を持っていない。衝撃的な現実はあるのだけど、そこには「リアル」は無い。要するに、映画として語るべき物語が無いとしか思えない。

「貧困社会で育った少女にとってはNYは、希望のある未来なのだ!」と謳われても、「そこから新しい私が始まる」とか言われても――劇中の言葉を借りれば「みんな貧困から抜け出すためにそうする。わかってるのよ」――それは先進国の、「ハンバーガーとコーラ」(『シュリ』のチェ・ミンシクの言葉)で育った俺達には「リアリティ」は無いのだ。衝撃的な現実こそあれど。言ってしまえば、(残酷で、非道かもしれないけど)「だからどうしろ?」ということでしかない。「ああ、そうですか。これからも気丈にがんばりますか。そうですか。じゃあフェルナンドさんに仕事でも紹介してもらってがんばってください」ってことでしかない。

衝撃的でこそあれ、映画的とは思わない。

アメリカの空港で身体検査をされて「妊婦だからX線」は通せない、と助かるシーン。あそこがこの映画のヤマだった。後は全て下り坂でしかない。大体、運び屋が逃げて、すぐ通報しないあの間抜けなギャング(っていうかチンピラ?)も、いい加減アホが過ぎるけどさ。死んだ運び屋の腹サバいて薬を取り出すだけ度胸あるくせに、何やってんだよ。

いっそ、ホテルから逃げて、家族に電話したら家族全員殺されていて、おまけに一緒に居たあの太った友達も体調不良で死んでしまって、一人NYに取り残されて、教会で懺悔の一つでもしていたら(俺って今、凄い非道なこと書いてるかもしれないなぁ・・・)、物凄いことになったと思う。

この少女は気丈なのではない。意思が強いのではない。これは、「世間知らず」と呼ぶのだ。それを以って「不安定な未来に向かって歩いていく主人公」のラストカットで映画を締めくくられても、俺には「アメリカンドリームを信じて迷い込んだ子猫ちゃん」程度にしか見なかった。勿論、彼女の演技には、関心こそしたけども、それとこれとは話が別なのだ。

NYに行って、本当に未来がありますか?

アメリカに行って、本当に未来がありますか?

「コロンビアよりマシよ!」なんて言われれば、それまでかもしれない。コロンビアの現実なんか、平和な大量消費社会の日本で生まれ育った俺には良く分からないし、そんなこと知ったこっちゃない。――しかし、仕事クビになったぐらいで、しかも「子育て」と称してロクに働いてもない姉と、妊娠の責任を取らない恋人だとか、そういう現実を以ってして、「貧困」だなんて、俺には思えないよ。その「貧困」とやらを以ってして「運び屋以外に道が無い」なんて、俺には到底思えないよ。絶対他にもあったはずだ。

で、おまけにNYについたと思ったら、中途半端な正義感と恐怖感で「ダメよ!逃げなきゃ!」おいおい・・・馬鹿なのか?動揺してるだけなのか?どっちなんだよ。

結局、この映画で一番「リアル」なキャラクターだったのは、運び屋の元締めのあの人(マリアが運び屋を決意する時に「君が切羽詰っているのはわかっている。しかし、冷静に考えなさい」と言って、当分の金を渡す)と、アメリカでお世話になるフェルナンド(「麻薬を返して来なさい」とマリアとその友達を諭す人)の二名ぐらいじゃないだろうか?

で、一番「現実」的だったキャラクターは、多分マリアとその友達なんだろう。こういう人って(非礼を承知で書くが)結構居そうに思う。世界的な実態は知らないが、例えばこの日本という国の社会でも、階層と階層構造の再生産というのはされているわけで、言ってしまえば貧困層は、貧困層相応の「学力」――これを拡大解釈して言えば、物事を判断し、そして決断する時に要される、経験と知識に基づいた知性――に欠けてる、という現実がある(勿論、所詮これは「統計的に」という冠がつくので、簡単に普遍化できないが/余談だが、教育実践によっては、貧困層でも確実に学力は伸びるので、本質的な意味で「頭が悪い」のとは違う。だから、この例えは少々不適かもしrないが、他に良い例が見当たらなので、とりあえずこの階層論を提示しておく)。

だから、マリアとその友達が馬鹿な、無鉄砲な振る舞いをすればするほど――勿論、それを「無鉄砲」と認識する俺は、チキンの弱虫さんの日和見主義者であるとも言えるが――「ああ、コロンビアってこんなもんなのか・・・」と、映画と別のところで絶望的になってしまった。失礼かもしれないし、俺も俺で馬鹿な人間だから、あまり大きな声ではいえませんけど。

現実と闘うことは、考えも無しに家を飛び出すこととは違うと思う。

別に、不法入国するなとか、そういうことを言いたいのではなくて、とどのつまり、「貧困の脱出」と「国外」とか「アメリカ」がイコールで繋がる辺りとか。多分、他に道はあったはずだし、ぶっちゃけ、そこまで貧困してるように見えなかったよ。第一、国内の大きな都市で働くことだって出来たはずだしなぁ・・・なんだかなぁ・・・

ま、17歳だし、仕方ないのかな(←先進国的発想)

余談になるが、このタイトルのセンスは、中々好きだ。語感が好き。

でも、「一粒」って要するに麻薬のことだろ?「麻薬=ひかり」ってことと同時に、「そして一粒の光」ということは「新たな子ども」という意味も含まれているのだろう。どちらかというと後者の意味でつけたタイトルなのだと思うけど、印象としては麻薬の方が強い。

随分とシニカルな印象。

再び余談となるが、マイケル・ウィンターボトム監督の『イン・ディス・ワールド』では、本当の難民の子を用いてロンドンに亡命するまでの映画をドキュメンタリータッチで撮っている。

確か、その子はその後送還された。

マリアに未来があるのだろうか?

俺は、単に無鉄砲な女の子にか見えない。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)ひゅうちゃん tredair[*]

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