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[コメント] ユナイテッド93(2006/仏=英=米)

その臨場感、緊張感、リアリティの凄さは認める。存在価値のある作品ではあると思う。しかし、映画である必然性は感じない。「再現」としての素晴らしさは認めるが、単に事実を再現するだけなら作家がやる必要は無いのでは? 2006年8月19日劇場鑑賞
ねこすけ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







確かに素晴らしい。見る価値のある作品だと思う。しかしそれでも★3なのは、この作品が“何も描いていない”からだ。

ここには事実はあるが、「映画」は無い。

だから映画として評価の対象にはならないし、映画として評価すれば★1をつけても良いぐらいだと思う。

911テロの時、2機はWTCに、もう1機はペンタゴンに、そして、最後の1機はか街の郊外に墜落した。それがユナイテッド航空93便。この機内で、乗員乗客がテロリストに立ち向かい、自らその絶望的状況を脱出しようと試みた事件をドキュメンタリータッチで映画化したのが本作。勿論、結果は周知の通り、墜落してしまうわけだが・・・

その映画化の方法は、上述した通りドキュメンタリータッチで、起こった事実のみを淡々と描き出すことだ。そこにはドラマは一切存在しない。アドリブの演技により、「結果的」なドラマは存在しても「演出的」なドラマは一つも存在しないのだ(と言っても、アドリブ自体が演出だから、これは語弊のある表現だが、敢えてこう書く)。

だから、スクリーンに映されるその場は限りなくリアルで、我々はその極限状態を映画館の椅子に座って体感する。手を思わず握り締めながら。その臨場感は極めて素晴らしく、特に終盤の1時間はあっという間に過ぎてしまう。この緊張感は、近年稀に見る素晴らしい演出力であると思う。こうもストレートにハイジャックを描くか、と思うほどの素晴らしさだ。

乗員乗客一人一人のドラマもまた、その臨場感の中では、どれだけありがちな物でも説得力を増す。我々は彼らの一挙手一投足、言葉一つ一つに重さを感じながら共にその世界を感じる。これは本当に「怖い」。

彼らの極限状態での叫び声、電話に漏らす弱音、そして最期の言葉は、「もし自分に起きたらどうするだろうか」という現実を、俺達に否応無く突きつけられる。9・11というありふれた一日が、一瞬にして非日常に変わり、それを打破する為に我々は何が出来るか。闘うしかない。しかし本当に自分は闘えるのか。この映画は、多くの現実と可能性を我々に突きつける。

その厳しい突きつけは、俺の胸を苦しくさせる。そして、見終わった後にどっと疲れが襲ってくる。思わずぽつりと呟く。「スゲェもん見ちまった」

でも、それだけだ。それ(事実によるインパクト)しか存在しない。

この映画にはその先が無い。限りなくリアルに描けば描くほど、この映画は「事実」のみを描き出す。しかし、仮にドキュメンタリーであっても、ドキュメンタリーは作り手の意図を反映するものではないだろうか(『華氏911』とか、まさにそうだと思うし、オウムとメディアの間に立って撮影した『A』も作り手の目線があった)。対して、もし映画的にしようと思えば、絶対に映画文法にある程度沿って行うため、人為的な演出が加えられる事となる上に、何らかの「何か」を描く必要性が生じるのではないだろうか。

しかしこの監督は、その両方(ドキュメンタリーorドラマ)を回避する。そしてそのために、「事実のみを伝える」という手法を取った。そうすることで、上述した極限状態の緊張感は生まれるし、どちらかの視点に偏った作品に堕すことも避けられる。これは確かに、(被害者その他に配慮した)正攻法的な作り方だが、これは「映画」という表現から逃げているだけではないだろうか?事実だけを並べることで、確かに視線は失われ、物語の限りない中立性は保たれる。

しかし、作家が作家たるためには、その作家性を捨てることは出来ないはずだ。その作家が自らの作家性を捨ててしまえば、ペンを折ることと同じではないだろうか?(あるいは作家性を捨てる事に新たな作家性を見出す事も可能だが)

この監督は、敢えて「911」という日を選んだ。そこは、この監督の主観だ。しかし、そこで描かれたのは、(言葉は悪いが)どこでも起きるテロの一件でしかない。ある日、飛行機に乗れば起こるかもしれない――そんな事件ではないのだろうか?だから、ここに「911」という特殊性は存在しない。

結果的に、事実のみを羅列することで、衝撃的な作品に仕上げる事はできたが、そこから「911でなければならない」という必然性や、あるいは事実を羅列する事で訴えたい「何か」が存在しなくなっている。中身の無い事実の羅列。ただ唯一の作家の視点「911を題材にした」という「選択」ですら、その意図がわからない(なぜなら「どこでも起きかねない」のだから)。

「こうこうこういう事件がありました。皆さん、怖かったですね。」

これが作家の仕事なら、それは作家ではないだろ。

この作品には作家は居ない。それがこの監督の意図だった、と言うのなら、それをわざわざ映画でやった意図を聞きたい。作家性を敢えて捨てることで、事実だけを描く事で、それで何が描けたか。「あの日、こういう事件が起きました」という事実を伝えるだけなら、テレビで充分だ。

コレに対して、例えばガス・ヴァン・サント監督の『エレファント』なんかは、違った物であると思う。この作品は、被害者・加害者の少年少女の姿を真後ろからステディカムで追い続けるという特殊な形を取った群像劇だ。

そこには何も無い。

ただ、朝が来て学校に行き、変わらぬ噂話、変わらぬ図書館、変わらぬカフェテリア、変わらぬトイレ、変わらぬイジメが存在し、そしてそれ以上に「何も存在しない」のだ。その日常が、ショットガンの散弾によって非日常へと、阿鼻叫喚の修羅場へと変貌する。

ガス・ヴァン・サントは、『ユナイテッド93』と同様に、役者にアドリブをさせた。だから、ここには演出らしい演出は少ない。しかし、それでも、それでもコレは「映画」であった。しかし、『ユナイテッド93』は「映画」ではないのだ。

その違いは「作家性」ではないか。

エレファント』は、劇映画で、「何も起きない、自然でありふれた日常の脆さと、その裏の非日常」を冷酷に突き放して描く事で、「ただ、事実だけが存在した」というメッセージを残した。コロンバイン高校銃乱射事件というモチーフを頼りに、高校生の脆くはかない日常を淡々と描写することで、彼らが脆い日常の上に生きている事を浮かび上がらせた。

ユナイテッド93』は、「ここでこういう事件がありました。皆パニックでした。でも、こうなりました。それでも結局墜落しました」という風に事実のみを描くが、そこには根本的なメッセージや、その事件である必然性が無い。、仮にメッセージがあっても、それは「事実をなぞることによる」メッセージであって、事実を一度吸収した後でbased on true storyとして再構築されたメッセージではない。メッセージを発信したのは「再現された事実」であり、「事実を再現した監督」ではないのだ。

つまり、極端に言えば、この『ユナイテッド93』は、誰でも出来るし、別に9・11テロである必然性が全く存在しないのだ。

だから、そんな作品を「映画」として評価することはどうも抵抗を感じる。もし仮に、俺が「この演出力には脱帽だ。さすが「事実」であるだけあって、素晴らしい。」とでも言うなら、それは「皮肉」としか聞こえないだろう。でも、それ以外にこの映画を誉める言葉は、俺の中には無い。それがこの作品に、「事実」はあっても、それ以外のものが無い事を証明している。

勿論、事実のみが羅列された映像から、自分なりに解釈して答えを導き出すことも可能だろう。しかし、そこで導き出されるのは「テロって怖いね」「俺ならどうする」等々の想いで、何度も言うが、別に911テロである必然性は無いのだ。

余談だが、『エレファント』との比較では分り難い場合は、『ブラックホークダウン』と比較すれば、より分り易いのではないだろうか。

ソマリアでの判断停止。そして時だけが刻む。民兵に囲まれながら、必死に戦い続けるアメリカ兵。2時間半の内、映画の殆どは戦闘シーンだ。しかし、最終的にバッチリ星条旗と友情(軍隊の結束力)が強調される。ジェリー・ブラッカイマーらしく。

リドリー・スコットがやったのは、事実(ソマリア内戦介入でのアメリカ軍の作戦失敗)を描く事と、そこに作家としてメッセージ(解釈)を加えることであったはずだ。

しかし『ユナイテッド93』にそれがあっただろうか?俺はないと思う。それを「映画」と呼ぶのは、俺は抵抗を感じてならない。「事実」だけを観客に教えたいのなら、テレビで充分だ。わざわざ映画でやる必要は無い。

わざわざ高い木戸銭払って入って「――で?」って思わされるだけなら、俺はそれを「肩透かし」と呼ぶ。

余談だが、聞いた所によると、終盤、映画では乗客がドアを突き破ってコックピットに侵入するが、実際はコックピットに入れなかった、ということを聞いたことがある。実際どうなんだろう。

ただ、テロリスト側もちゃんと人間らしく描かれている点には、非常に好感を持った。ここまで「事実」に徹した点は、素直に認めたい。

(評価:★3)

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