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[コメント] 悲夢(2008/韓国=日)

どこまでも悲しい現実的な夢 2009年5月3日劇場鑑賞
ねこすけ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







終盤で用いられる「手錠」というアイテム。これは(シネスケのコメントで初めて気付いたが)ギドクが『』や『ワイルド・アニマル』で用いてきた小道具だ。そして、その2作品は、ともに手錠をつけた二人は水の中に沈んでいく。――この映画では、凍りついた川の上だが。

この「手錠」というアイテムが本作品の「白黒同色」というテーゼのメタファーであることは言うまでもないだろう。別れた彼女への想いを断ちきれない男と、関係を絶った男への憎悪を断ちきれない女との相補的な関係。これは、もはや「相補的」というよりも、ある種の共依存的な状態と言っても良いのかもしれない。その意味で、この関係には男女二人以外の他者が存在しえない。

果たして、こうした関係は容易に崩壊しうる(劇中で痴話喧嘩してるカップルのように)。

ただ、ギドクの視線はもっと先を見ている。この≪他者≫不在の状態を、単なる「男女は白黒同色、カップルで一つ」という「視野の狭さ」というありがちなテーゼから、さらに一歩進み、それが故に別れた末の「記憶(≒夢≒自分)との戦い」へと進めている。だからこそ、ここで描かれる男女は、何も関係ないのに、お互いの夢に固執し合う。そこには、(文字通り)自分がいるから。

それは、人がどこまでも前へ進もうとする戦いなのかもしれない。自分の記憶と戦い、次のステップへと飛び出そうとする。そして、新たな愛する人を見つける。――だが、それでもなお、人は手錠を愛する人とかけあってしまうのかもしれない。ラストの、自らの死によって全てを断ちきったオダギリジョーの最期の「夢」のように。

ならば、文字通りこれは「悲夢」だ。これは、あまりにも、悲し過ぎる“現実”だ。

(評価:★5)

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