[コメント] 沈黙は金(1947/仏)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
冒頭の映画館の前のシーンで、呼び込みが、映画監督のエミールに忠告を一つ. 「喜劇よりも悲劇の方が、大衆受けする」
沈黙は金、雄弁は銀. 一人の女性マドレーヌを相手にした、エミールとジャックの恋愛、映画全体の出来事は、雄弁は銀を描いている.そして、結末は悲劇になりかねない出来事なのだけど.
最後の方、撮影所を見学に来た大統領の、美女が死ぬのは解せない、この言葉で撮影中の映画のストーりを、悲劇から喜劇に変えてしまう. 「君は二人を幸せにして、その影で一人苦しむ」 エミールは若い頃には、マドレーヌの母とセレスタンの幸せを願い、今また、マドレーヌとジャックの幸せを願う、この心が、沈黙は金、つまり、悲劇を喜劇に変える心なのね. 沈黙は金、それは、好きな心で皆の幸せを願うこと、その通りの映画.
失恋したジャックに、エミールは恋愛の手ほどき、これは友情でしょうか. 友人の娘、マドレーヌの世話をする、これも友情. マドレーヌに悪い虫がつかないように、男が言い寄らないように邪魔をする、これはおせっかい.年頃の娘が恋愛をするのは自然であり当然のこと.それを邪魔されてマドレーヌは一人で寂しい思い.その結果、エミールとマドレーヌの間に、何となく恋愛めいた感情が.でも、マドレーヌにしてみれば、ジャックとの恋愛、若い者同士の恋愛の方が、遙かに自然な成り行き. 結果として、ジャックはマドレーヌを諦め、マドレーヌもまたジャックを諦め、行く当てのないマドレーヌはエミールに結婚して欲しいというけれど.でも、好き合った者どうし、どんなことがあっても一緒になろうと考えるのが恋愛、邪魔されたからと言って諦めてしまうのは悲劇. ジャックとマドレーヌの気持ちを理解し、エミールは翌日の映画の撮影の出来事に織り込んで、二人の恋愛の手助けをする.もっとキッスをしろ、このエミールの心を、沈黙は金、と言うのね.
もう一度、順を追って書けば、友情がお節介をうみ、お節介から何となく歪んだ、あまり自然ではない恋愛がうまれ、その恋愛が、友情がうんだ自然な恋愛とぶつかり合ったとき、悲劇がうまれそうになった.
けれども、エミールは昔恋をした女性を、友人と結婚したマドレーヌの母を、今でも慕っている.それが正しい恋愛であると、エミールがその自分の心を正しいものと考えるならば、エミールのマドレーヌに対する恋愛感情も、それが、友情を壊すものでなければ、同時に、マドレーヌの恋愛を邪魔するものであってはならない.これは、エミール自身が自分自身で、自然に導き出されることなのね.もう一度書けば、この様に考えることが、沈黙は金.
人を好きになるとは、その人と一緒に居たいと思うこと.同時に、その人の幸せを願うことでもある.一緒に居たい気持ちだけで考えると、他の一緒に居たい者と喧嘩になり、幸せを願う心だけで考えると、悪い虫がつかないようにお節介をすることになる.一緒に居たい気持ちを、これは駄目、相手が誰と一緒に居たいのか、それを幸せを願う心で考える、と言うことなのかしら.これも変、幸せとは、一緒に居たい者同士が一緒に居る事だから.幸せを願うとは、相手が何をしたいのか、あるいは、誰と一緒に居たいのか、それを考えること、それが人を好きになること、なのね.
沈黙は金、雄弁は銀、雄弁を奮う前に皆の気持ちを考える、皆の気持ちを考えた上で、皆の幸せを考えた上で、意見を言うこと、少し言い換えれば、何かを言おうと思ったとき、その前にもう一度皆の気持ちを考えなさい、こんなふうに諭すことわざ.映画の題名は、このことわざの半分なのね.何を言ったらいいか分からない時、その時は黙っている、これでも正解だろうと思います.
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