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[コメント] 天井桟敷の人々(1945/仏)

民衆と独裁者
ルミちゃん

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







犯罪大通りで観かけたギャランスにフレデリックが言い寄るシーンからこの映画は始まる.その二人の会話はこんなふう.

「どこへ行こうか」、「あんたはあんたの方、私は私の方へ」

「同じ方角だ」、「駄目よ」

「なぜ」、「約束があるの」

・・・・・

「約束の人を愛している?」、「皆を愛してるわ」

清く正しく美しく、この表現とは程遠いかもしれないけど、この言葉の通りギャランスは皆を愛して生きると言ってよいでしょう.

さて、時の流れに従ってギャランスはモントレー伯爵と一緒になる、時の流れは省略します. バチストと一夜を共にしたギャランス、翌朝、フレデリックとモントレーの決闘を止めに行こうとする. その時、夫のモントレーを称して、この様に言うのです.

「私が他の人を愛さなければいいのよ.それが彼の愛よ」

謀大手ソフトメーカがインターネット閲覧ソフトで取った戦略を考えてみたく思います. Netscapeに対してこの会社の取った方法は、IEをOSの一部として組み込むこと、そのやり方は如何にしてNetscapeを使いにくい環境にするかにあったのです.第一の手段は、よりよい製品の開発によって、どちらかよい方を、互角の条件においてユーザが選択することによって、勝残ることではありませんでした.

ようするに、ユーザがNetscapeを使わなければいい、つまりは、他の人を愛さなければ良かったのです.これが独裁者の考え方なのです.

この映画、モントレー伯爵に時の独裁者を重ねて描いている、そこに反骨精神があると思われるのですが、まさに独裁者の本質を見抜いている、こう言って良いのではないでしょうか.

この映画の構図は、一人の女、ギャランスを軸にした、4人の男の恋愛. まずバチストとフレデリック.バチストの言葉を借りれば、芸を通して天井桟敷の人々を感動させたい、この二人の恋愛は形こそ違え、その心は天井桟敷の人々、つまりは一般大衆、民衆の心を現すと言って良い.

モントレー伯爵、この男は、映画にはほとんどその実態が描かれていないが、先に書いたとおり、「私が他の人を愛さなければいいのよ.それが彼の愛よ」、このギャランスの言葉で現される人間と言って良いはず.

さて、もう一人ラスネール、この男を、どう位置づけたらよいのか迷った.この映画の中でどの様な役割を果たしているのか.単純に考えて、バチストとフレデリックは善、モントレーとラスネールは悪. そしてバチストとフレデリックが民衆を現すとすれば、モントレー、ラスネール共に、陰湿な悪で共通している.ラスネールの悪は、映画のなかに描かれるが、モントレーは直接には何も描かれない.ギャランスの言葉によって窺い知るだけである.

ラスネールとモントレーは、見える悪と見えない悪、二人併せて一つの悪、時の独裁者を現している、こう言って良いのではないか.ラスネールがモントレーを殺害するが、それは二つの悪の対比ではなく、二つの悪の融和、二人合わさってヒットラーを表している、こう受け取るべきなのでは.

非占領下の南フランスとは言え、ナチの目は光っている.一人の人間を二人に分けてばれないように描いた、ということなのでしょう.

(評価:★5)

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