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[コメント] ひかりのまち(1999/英)

シンプルな人生讃歌。
らむたら

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







この映画は僕の弱点をついている。僕は「夜が舞台の映画」とマイケル・ナイマンのサントラに弱い。「夜が舞台」というだけで『ウォーリアーズ』や『アフターアワーズ』は大好き。マイケル・ナイマンというだけでピーター・グリーナウェイも好き。それだけでもこの映画は僕にとっては4点の価値はある。

この映画を観ていて自然と思い較べたのは『マグノリア』だ。『マグノリア』はあるテーマ(「過去を捨てても過去は追ってくる」)があって、そのテーマの鋳型にストーリーを流しこんで群像ごとの個々の物語とその人物造形を牽強付会したような感があり、僕的にはその青二才の牧師がするような浅薄な説教臭が鼻について好きになれないし、あまりにもストーリーも人物造形も人工的すぎるような気がする。駄作とはいわないが凡作だと思ってしまう。『ひかりのまち』の群像劇はロンドンの下町のある一家を軸に展開する訳だから、あるテレビ番組を軸に展開する『マグノリア』よりは登場人物たちの関連性が自然な強さで結びついている。だからストーリーの求心力はより強く、一見するとそれぞれの登場人物の個々の物語もあるテーマの遠近法によって統一されているかのように思えるかもしれないが、観ているとそこまでの“わざとらしさ”は感じられない。感じられるのは極めてシンプルな“肯定”だけだ。

まあ、この辺は趣味の問題なのかもしれない。『マグノリア』はポール・トーマス・アンダーソンが訴えたいテーマを前面に押し出すために人工的であることを隠そうとしてないというか、ある意味人工的であることに徹したのかもしれない。そうであるならば、観客の批評の観点や好悪の判断材料は映画のスタイルより、そのテーマに共感できるかどうか、にあるだろう。しかし僕は「過去を捨てても過去は追ってくる」というテーマ自体に全く共感できない。というよりそのテーマに説得力も意味もあるとは思えない。意地悪な観方をすると、『ひかりのまち』は“わざとらしさ”を撮影の技巧によって隠そうとするかのようにハンドカメラによる微妙にぶれる映像や臨場感を醸し出すための短いショットの積み重ねなど、ドキュメンタリータッチな絵作りをしていて、それが逆に人によっては“わざとらしさ”を感じてしまうかもしれない。しかしこの映画も『マグノリア』と同じように映画のスタイルそのものより以上にマイケル・ウインターボトムが訴えたかった大事な意図があるのだろう。それは『マグノリア』の安手の宗教から引用してきたような説教臭いテーマでなく、ただ単に「人間を、人生を肯定する」という「人間讃歌」であり、「人生讃歌」そのものなのであろう。そのシンプルな意図が夜の“ひかり”に彩られたロンドンを舞台に展開し、肝要な場面ではマイケル・ナイマンのそれこそ宗教的な妙なる音楽によって浄化される。僕はその浄化されたシンプルな重みが好きだ。

僕がこの映画で特に好きな場面は二つある。一つはティムの家で彼と寝た後、帰途につくナディアがダブルデッカーの二階で車窓から過ぎ行くロンドンの『ひかりのまち』の風景を眺めながら涙する場面。彼女がなぜ涙するのか、ある程度忖度はできても「彼女の涙の理由は分かるよ」と言い切るだけのおこがましさは、僕にはない。だけど、彼女が過ぎ行く『ひかりのまち』を眺めながら涙したくなるその雰囲気に浸った情感は、たとえ頭では理解できなくてもなくても僕自身の情感が共振するのだ。もう一つは迷子になったジャックを母親のデビーがタクシーで家に連れ帰る場面で、デビーはジャックの頭を抱きかかえながら「あいつはお前のことをほんとは愛してるんだよ。ダメなやつだけどね」みたいなセリフをいう場面。“やさしさ”とはこういうことなのではないだろうか? 『マグノリア』でマッキー(トム・クルーズ)がかつての少年だった自分と母親を捨てた父親が末期癌で死にゆく様を見つめながら、身悶えしつつ涙ながらに“許す”大仰な場面と、母子が抱き合いながらさり気なく父親を“許す”シンプルな場面のどちらが胸を打つだろう? どちらが自然と心に染み入ってくるだろう?

結局この映画はタイトルが『WONDERLAND』だし、生まれてくる赤ちゃんの名前がアリスであることからも分かるように喜怒哀楽交々の人生模様をラストにおいて肯定している。

伝言ダイアルで寂しさを癒していたナディアと彼女にひそかに想いを募らせていても打ち明けられずに苛立っている自閉症気味のフランクリンはラストの笑いながら寄り添って歩く場面で。 どうしようもなく酒飲みの女好きでほとんど父親失格の烙印を押されつつあるダンはタクシーの中でデビーがジャックに語る思いやりの篭った言葉によって。 男漁りに忙しい奔放なデビーはかまけなかったジャックの大切さを「失って初めて理解する」ことにより新たに絆を強くすることによって。嫌いだからという理由だけで一家の大黒柱なのに無責任にも辞職し、妊婦のいる現実からも無責任にもオートバイで逃避して、挙句の果てに事故に遭うエディはモリーが赤ちゃんにアリスと命名することによって。 周囲の「あら捜し」ばかりする気難しい母親は彼女の口煩さに愛想をつかして家を出たダレンから留守電がかかってくることによって。 両親を捨てるように家を出て連絡が途絶えていても、いつも内心のどこかで気に懸かっていた両親が彼のことを心配しないようにと旅行前に電話をかけるダレンは、その内気な思いやりが示されることによって。 退職して生甲斐を失って自堕落な生活を送っていた父親は映画の出だしでやんわりと拒否されたと思っていた娘ナディアがラストで訪ねてくることによって。 「性格が陰気」で知らず知らずのうちに周囲をうんざりさせてしまうモリーはアリスを生むことによって。 アリスは生まれることによって。

そしてアリスの誕生はワンダーランドという名の『ひかりのまち』ロンドンで愚直に、不器用に、しかし懸命に生きるみんなの人生を肯定しているのだ。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (4 人)ことは[*] 24[*] 奈美[*] kazby[*]

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