[コメント] マルサの女(1987/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
あそこの芝生で子供が遊んでいるだろう。
ああいうのを眺めていると、俺は、こころが掻きむしられるような気がする。
幸せが、手からすり抜けていくような気がするんだ。
●脚本、伊丹十三。男のつぶやき。男の本音。男は彼の分身。
●円形の観客席を、足を引き摺りながら、毅然と歩く男の黒い影。美しい。まさに映画的興奮。遠景の曇空の夕暮れが利いている。(撮影監督前田米造!)
●平成不況の今、再見してみた。バブル期の、ひたすら熱くて、無自覚な時代の空気を、見事に真空パックしていた。不朽の領域に突入!
●華があって、ちょっと洒落っ気もある、津川雅彦のダンディズムもいいが、この作品のポイントは、何といっても山崎努。黒澤の記憶=『天国と地獄』への畏敬の念。才人伊丹十三に互することの出来るのは山崎努だけ。山崎努の時代=『お葬式』、『タンポポ』、『マルサの女』は、監督、本気印。真摯で凄かった!津川雅彦の時代=『マルサの女2』以降は、映画は釈迦?の手のひらでこねまわされた粘土細工の印象!
●た、確かに、宮本信子のそばかすには、ルーティン・ワークの兆しが。そばかすの薄いシーンは、安心したりする。
●『天国と地獄』の主人公の名前も権藤。あの映画の山崎努が、自らのコンプレックスをバネにして大成すれば、この『マルサの女』の権藤みたいな苦味走ったいい男になったと思う。正義感に燃えて、団結する男たちの群像も『天国と地獄』を連想させるゾ。
●伊丹十三監督よ!あんた、本当は凄く出来る人だったんだよ!黒澤明の正統な後継者だったのだよ!(惜しい。)
●映画の季節は、冬、夏、春、秋とテンポよく展開して行く。しかし、金に、仕事に奔走する人々は、季節の風を感じることが出来たのだろうか。ラストシーンの高所にいる二人は、あの瞬間には、涼やかな風を感じることが出来たのだと思う。夕暮れ時とはそんな時間帯。
●余談:私が大阪にいたとき。京阪電車の萱島駅の高架ホームから、小さな公園が見えた。平屋群と数棟の高層マンションと川に挟まれた小さな公園。遠方には生駒山地の緑が。その、すべり台とブランコしかない小さな公園で、若い女性(ビジネススーツ姿)と一人の女の子が、昼下がりに遊んでいた。何とも幸せな光景だった。その女性の横顔が、当時、私が好きだった人に似ていた。見下ろす光景が、この映画のラストシーンみたい。○○さん、お元気ですか?(IT関係の20代の女社長、仕事、仕事、スマイル、才気、お金の苦労、粘り、美貌と『マルサの女』の世界にどこまでもシンクロします。)だから、この映画は、感慨深い。忘れられない。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (14 人) | [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。