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[コメント] ノートルダムの鐘(1996/米)

作り手の苦心惨憺は非常に楽しめるものの、この映画にオレの傴僂男はどこにもいない。
ペンクロフ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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アニメーションの技術は素晴らしく、伝統のマルチプレーン撮影と当時最先端のCGを併用して劇的な空間を作っている。キャラクターはいつものバタ臭いデザインで、エスメラルダもケバくて美少女には全然見えない。なんでもかんでもミュージカルにしてしまう無神経もいつものことだ。

原作のカジモドはノートルダム大聖堂の前に捨てられた赤子で、傴僂のうえに耳が聞こえない。原作のフロロはノートルダム大聖堂の司教補佐であり、数々の学問を修める知性を持つ禁欲的な聖職者。原作のファビュス隊長は婚約者が居るにもかかわらず遊びでエスメラルダを引っかける、不実なイケメンクソ野郎だ。

ヴィクトル・ユーゴーの原作がメチャクチャに改変された『ノートルダムの鐘』を観ると、このどう考えてもディズニーアニメに向かない闇だらけの原作の、いったいどこをどういじくれば一応は子供さんも喜ぶエンターテインメントとして成立させられるか、しかもなるべくなら心にもないウソはつかぬ方向で、という難事業にのたうちまわるスタッフの苦しみが見えるようだ。誰だよこんな企画通したのは。

カジモドは意思疎通に支障ない、ただのブサイクないい人に。フロロは判事にして単純な権力者の悪役に。ファビュスは独身の善良なイケメンに。劇作家グランゴワールはいないことにする。ならず者の長クロパンは道化の語り部に。

悲劇的な結末は避けたいが、カジモドがエスメラルダとくっつくのは無理、あからさまなウソになる。女は善良なブサイクとはくっつかないからだ(信念)。ファビュス隊長をいい人にして、エスメラルダとくっつければいい。カジモドにはファビュスとの友情を与えればよい。モテない男を孤独から救うのは、いつの時代も美醜を問わぬ野郎的連帯に他ならないからだ。少々ビターにはなるものの、まずまずの後味じゃないか?

ディズニーのスタッフたちの苦渋が見えて面白い。興味深いのは3体の石像で、カジモドを注意したりそそのかしたり歌ったりする、毎度ディズニーアニメに出てくる賑やかしキャラとして機能している。しかしフロロやエスメラルダといった「他者」がやってくると、ただの石像に戻ってピクリとも動かない。あんな陽気なキャラはアニメの劇中においても実在してなくて、連中はカジモドのイマジナリーフレンド、エア友達、自身の心の声なのである。反面、そうと察せぬ子供さんにとっては普通にカジモドの愉快な友達に見えるので、ちゃんとサービスも忘れてないわけだ。

カジモドが住処にノートルダム大聖堂の模型を拵えているのも面白かった。明らかにデヴィッド・リンチの『エレファント・マン』からの引用だ。エスメラルダは模型の出来に感心し、カジモドを褒めてくれる。男は「あなたの顔が好き」と言われるよりも、「あなたが作ったこのガンダムMk-II、ウェザリング凝ってるね。このGディフェンサーはフルスクラッチなの?」と言ってくれる女に惚れるものだ。しかし女の多くが顔のいい男を選ぶのは、中世でも現代でも変わらぬ現実だ(信念)。吉永小百合佐藤蛾次郎と結婚しない。ゆえにディズニーのスタッフは、カジモドをグッド・ルーザーに仕立てるしかなかった。まあ、ムチャな企画を稼げる商業映画に持っていくには、ギリギリの落としどころだったのだろうと思う。事情は理解できる。しかしこれを好きかといえば、全然好きではない。

(評価:★2)

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