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[コメント] キング・コング(2005/ニュージーランド=米)

愛だけで、『キング・コング』は作れない
ペンクロフ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ある程度は予想していたが、やはり今回も1933年のオリジナルがいかに凄い映画であったかを思い知らされる結果に終わった。

人間からコングに向けられる嫌悪と好奇の視線、怪物は忌み嫌われる存在であるという残酷、その大前提がピーター・ジャクソンの内には存在しない。彼はゴキゲンな悪趣味監督ではあるが、やはり善意の人だ。人間と怪物を、心から愛している人だ。その愛が、この映画を支配してしまっている。しかし33年版『キング・コング』は神話であり、ヒューマニズムを超えたところにある。愛だけでは、『キング・コング』は作れない。

オリジナルにおいて、アンはコングを恐怖し続けた。叫び続けた。コングの思いを知っているのは観客だけで、アンをはじめ人間たちはコングに一片の同情もしない。それ以上に重要なのは、映画それ自体にも同情という概念がなかったことである。

メリアン・C・クーパーアーネスト・B・シュードサックは、そもそもはサイレントの時代から秘境探検映画を作り続けてきた男たちだ。ドキュメンタリーという言葉さえまだなかった頃のそれはフィクションだらけのノンフィクション、物珍しさとインパクトで観客の心を掴む見世物映画である。そこには自然保護の視点も、動物愛護の概念もなかっただろう。人種差別に関する自覚さえ、あったかどうか疑わしい。改めて考えるまでもなく、自然とは人類が征服すべき脅威であり、原始の世界に君臨する巨大な猿は好奇と嫌悪の目で眺めてしかるべきものだった。もし南海の孤島に巨大な猿が本当に実在していたら、彼らはためらいなくカメラを担いだロケ隊を組織して乗りこんでいったに違いない。そうなりゃ見世物映画の最高峰、秘境探検映画の極北ですよお客さん。トラック一杯分のマネーが転がり込むよ!

キング・コングが愛される存在であるという認識は、魔術師ウィリス・H・オブライエンが銀幕に創り出したコングがあまりにも生き生きとして素晴らしかったために生まれた錯誤だ。コングを愛したのはオブライエンと観客だけである。アンはコングを愛さなかった。デナムもドリスコルも愛さなかった。クーパーシュードサックも愛さなかったのだ。要するにオリジナルの『キング・コング』は、極めて現実的な映画だ。現実的な映画だからこそ、コングの最期は観客の胸を打った。言い換えれば、オリジナル『キング・コング』は観客を傷つける映画だ。観客はコングの最期に立ちあい、コングが殺される現実に傷ついた。オリジナル『キング・コング』に流した涙と心の傷はオレの誇りだ。

ピーター・ジャクソンが多くの観客と同じような体験をしたことは想像に難くない。彼は『キング・コング』を愛した。しかし、愛しているから『キング・コング』を作れるとはならないのだ。

キング・コング』が『キング・コング』であるためには、コングなど金儲けの道具だという「文明的」な感覚も絶対に必要なのだ。美女は怪物なんか愛さないという「常識」、暴れだしたら容赦なくブッ殺す「現実」も必要なのだ。我々が生きる現実の世界で勇者と讃えられるのは一等航海士ドリスコルであり、複葉機のパイロットたちだ。美女は野蛮なサルに殺されず助かってよかったよかった、めでたしめでたしなのだ。

1933年のオリジナル『キング・コング』は、クーパーシュードサックが代表する現実と、ウィリス・H・オブライエンが創り出す幻想が真っ向から激突して生まれた奇跡のような映画だった。コングを愛するピーター・ジャクソンは、明らかにオブライエンの側に立っている。では、現代のクーパーシュードサックはどこにいるのか。どこにもいない。それが、2005年の『キング・コング』だ。

確かにジャクソンジャクソンの『キング・コング』を作った。登場人物のドラマをふくらませた。オタク監督らしく、マッチョなドリスコルを去勢して青白き脚本家にした。コングを夕日の美に心奪われる、愛すべきキャラクターとして描いた。美女とコングの交流場面をたっぷり入れた。恐竜との闘いを過剰にショーアップした(ちなみにこの部分はかなり気に入らなかった。あれはルチャであり、ルチャが相応しい映画でのことならオレも歓迎しただろうが『キング・コング』はそうではない)。

ピーター・ジャクソンの『キング・コング』は実によくできた娯楽映画だ。堂々とした大作であり、非常に美しい映画でもある。しかしオレがオリジナルの『キング・コング』に見た神話の荘厳が、ここには何ひとつなかったのも事実だ。数えきれぬほどある『キング・コング』の亜流映画の列に、『ピーター・ジャクソンのキング・コング』という新たな映画がまたひとつ加わったということだ。願わくばこの映画をきっかけにして、観たことなかったけど1933年の『キング・コング』も観てみようかと思う人が少しでも多からんことを。

(評価:★3)

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