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[コメント] GODZILLA ゴジラ(2014/米)

画作りに秀でたゴジラ映画で、これに文句言ってたらバチが当たりますよ。オレ以外の全ての皆さんに、是非楽しんでいただきたい作品。
ペンクロフ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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1954年に公開された破格の映画『ゴジラ』、そこから生じた「ゴジラ映画」というジャンルはかつて若人の胸を焦がしたり、東宝のドル箱として興行界を席巻したり、子供騙しで子供を騙したりしてきた。この列車をオレは、1984年に降りた。以来、ゴジラ映画の新作を作ってほしいと願ったことはない。以後のゴジラ映画も、数本の例外を除いてほとんど観ていない。言うな、これが極めて気持ち悪い態度だということは承知している。

「ゴジラ映画」として、ギャレス・エドワーズ監督の『GODZILLA』はよくできていた。たいへんなスペクタクルを画で感じさせる怪獣映画で、ビオランテあたりを佳作扱いしてきた我々がこれに文句言ってたらバチが当たると思った。そりゃ文句を言いたくなる細かい欠点に加え、細かくない欠点も山ほどあり、まーそんなんいちいちは書きませんが、それらも含めて堂々たる娯楽大作だったと思う。観客の皆さま、特にお子たちには是非夏休みにこの映画を観て吃驚仰天、ビビってたじろいでいただきたい。すでに降りたオレも喜ばしく思う。それは嘘ではない。

しかし降りた人間の本音を呟くならば、いっそこれがゴジラ映画でなかったら全然よかったのに、と心から思うのだ。劇中に散見される1954年のオリジナルへの目配せ、そんなもん全部いらねえんだ。この映画はあるかどうかも怪しいゴジラ映画の伝統とやらに義理立てし、渡辺謙は広島に言及する。これなんか本当にただ一応言ってみただけに終わっており、逆に驚かされる。一方で、核兵器や放射能の扱いは相も変わらずハリウッド脳天気フィクションのコードに従っている。1950年代の核実験は実はゴジラへの攻撃だったなんて話、このオレに膝を叩いてうまい脚色ですねとでも言えってえのか。第五福竜丸って聞いたことあるか?

極めていいかげんに核の使用が決定され、いいかげんに持ち運びされ、いいかげんに爆発し、なんの影響も残らない。処理班が雁首揃えてミサイルのフタが開きませんってのも凄いが、それならばと米兵がミサイル担いでわっしょいわっしょいもホントに超展開で呆然とさせられる。『ダークナイト・ライズ』級の頭の悪さだ。これ、ゴジラ映画でなければかくも(核だけに)引っかかりはしないのである。あーまたか、アメちゃんはバカだねヤレヤレで済むのである。オレは、単にこの映画の核の扱いそのものに文句を言いたいわけではない。ギャレス君にそこまで求めてもいない。外圧に内圧、様々な力学が働いてのとりあえずの結果がこの映画であることは理解できる。核の本質に迫るちゃんとした映画が観たけりゃ、オレはジェームズ・キャメロンの原爆映画を待つよ。

本当の問題とはゴジラ映画でありつつ、アメちゃん喜ぶハリウッド娯楽大作でもあらねばならぬとする矛盾した縛りが脚本を混乱させるだけ混乱させ、映画の力を大きく損ねていることなのだ。英国人の監督は前作でも判る通り、必要や制約に応じて極めてトリッキーな奇手も辞さぬ作り手だ。バカでも無能でもないのだから、もっとやりたい放題、知性と本能の赴くままに作るべきだった。野球の打者の如く入れ代わり立ち代わり、ちょっと書いては去っていくバイト感覚の脚本屋どものホンなんて全部直さなきゃダメだ。そして、それをするのにゴジラという看板は不要であるばかりか大きな負担にさえなりうるのだ、との考えは変わらない。

ジャッキー・チェンは、結局ハリウッドで傑作をモノにすることはなかった。アメちゃんは、アメちゃんのやり方しかできないからな。この映画にも同様の「ハリウッドの枷」がはっきりと見てとれる。せっかくいい画を作ってるのに、残念だよな。

(評価:★3)

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