[コメント] ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー(2016/米)
『コングレス未来学会議』はもはや現実となった。この映画では、皇帝やベイダー卿とともに銀河帝国を建国したグランド・モフ・ターキンが、代役にCGをかぶせた姿で登場する。オレは激しく動揺した。こんなことが許されるのだろうか。オードリー・ヘップバーンやブルース・リーがCG人形になって登場するCMにさえ、オレはえもいえぬ不安と大いなる苛立ちを感じずにはおられぬ。ましてやそれを銀幕で味わうことになろうとは思わなんだ。
そもそも1970年代にスピルバーグやコッポラ、デ・パルマやスコセッシら若手監督が寄り集まった「ムービー・ブラッツ」の中でも群を抜いて夢見るボンクラだったルーカス坊やが悪戦苦闘して作った『スター・ウォーズ』をまともな映画として担保したのは何であったか。アレック・ギネスとピーター・カッシングの存在しかないのである。この2人の風格が『スター・ウォーズ』を映画にしたのだ。
『スター・ウォーズ』に登場するのは黒尽くめの悪役、白い鎧の兵隊、二束三文の新人俳優たち、大工、あとは着ぐるみの猿と、中に人が入って動くできそこないのロボットだ。そもそもまともな映画ではないのである。これで黒澤映画をやろうとしてたんだから、いかにルーカスがトチ狂った若者であったか知れよう。あの世界は、すぐれた特撮とともにギネスやカッシングらの生身の名優が長年の実績に支えられた「格」を捧げることによって成立したものだ。特撮にはできることがあり、できないこともある。特撮で作れない部分を、名優ギネスと名優カッシングが支えてくれていたのだ。あらゆる『スター・ウォーズ』ファンは、この2人に足を向けて寝られない筈なのである。
しかるに『ローグ・ワン』はピーター・カッシングの功績を無に帰したばかりか、グランド・モフを毛玉のイォークと同じ扱いにしてしまった。イォークが悪いというわけではないよ。しかしターキン大総督が替えの利かぬ唯一無二の存在でなくて、いったい何がこの世の真実だといえるのか、オレにはもう全然判らないんだ。『ローグ・ワン』はつまらない映画ではないし、多くの美点を持つ映画だ。皆さんがおっしゃるように、悪くない映画なんだろうと思う。しかしオレは、まともに鑑賞する気にさえなれなかったのだ。
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