コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 遠雷(1981/日)

1981年の北関東、田舎と都会の隙間の原風景。ロードサイドにパチ屋サラ金エロ本屋、山田うどんが建ち並ぶ現代へと繋がる。
ペンクロフ

この映画は18歳の頃にはじめて観て、なんなんだよこのしみったれたクソ映画、暗くて重くてしょうもない日本映画の典型だ、なんて憤ったものだ。しかしおっさんになった今観ると、好き嫌いは置いといて作り手が何を描こうと思ったのか、その意図はなんぼか理解できると思った。

冒頭の、ビニールの隙間から見える団地のカットが印象的だ。永島敏行のビニールハウスは、いかにもなド田舎の農村ではなく、団地に代表される都市文化がどんどん侵食してくる境界にある。『となりのトトロ』の農村なんか、昔ばなしの夢物語。このような文化圏のせめぎあいとそれが生む悲喜劇は、この時代以降全国的に広がってゆく。

こういう時代のこういう土地で、百姓が昔ながらの典型的百姓らしく生きることは難しいだろうなと思う。永島敏行は似合わない黄色のマイカーを転がし、野良仕事の格好のまま喫茶店でカレーを食い、夜はスナックになる同じ店で酒を飲む。露地ではなくハウス栽培というのも比較的ナウいし、仕事のBGMはハウスのラジカセから流れるダサいオシャレフュージョンだ。あくまでも演歌ではない。その日常はどこかちぐはぐで、珍妙に見える。

このような永島の日常はそれとなくコメディタッチで、彼を取り巻く気まずい現実が、実にうまく描かれている。そう、この映画、観ていてなんとなく気まずいのだ。上記の百姓としてのちぐはぐさもそうだし、石田えりとしけこむ田舎のラブホ、結婚を約束する中途半端なファミレスもなんだか居心地が悪い。祖母はボケてるし、父は田んぼ売った金を愛人に突っ込んで家出。農業を嫌って東京でサラリーマンをやってるという兄貴はなぜかロン毛でヒゲの森本レオ。友達は子持ちの人妻と逃げ、残された旦那は弱々しいサイコパス。農村と都市のせめぎあいの中で、皆がどこかしらおかしくなっており、そんな中ではセックス大好きの永島がいちばん健全で、まともな人間に見えてくるのが不思議だ。彼自身この現実はどうもキツいと感じているようで、ビニールハウスで石田えりのパイオツを弄びながら「ここにベッドとプロパンガス持ち込めたらなあ」なんて呟く。家では気が休まらず、自分が自分でいられる場所はハウスの中だけなのだろう。ジョニー大倉みたいにならなくて良かったな。

しかしですね、そんな農業青年が感じた1981年の閉塞感なんか、大不況の2012年に観るとカワイイもんに見えてしまうというのも、もうひとつの現実なのです。23歳の若き永島には土地もありハウスもあり、石田えりもいるし子供もできる。ポンと下ろせる貯金も500万ある。プロレタリアートに落っこちそうなプチブル、といったところか。大丈夫だよお前。全然大丈夫だよ。立派なもんだよ。それよりちょっと、こっちの心配してくださいよ… ねえ永島さん… お願いしますよ…

(評価:★3)

投票

このコメントを気に入った人達 (2 人)シーチキン[*] ぽんしゅう[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。