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[コメント] パール・ハーバー(2001/米)

ひとことで言えばとんでもないゲスな映画だったが、この映画で描かれた真珠湾攻撃を見て、特撮好きとしてどうしても感じずにはいられなかったことがある。
ペンクロフ

特撮の目的には二つある。ひとつは「実写の代わり」であるべき特撮。これは製作費の軽減のため使われることが多い。巨大なセットを組んだり、遠いところまでロケに行ったり、飛行機をホントに墜落させたりなんてことは大変なわけです。だったら特撮のほうが安いし早い。そのため観客には「そのカットが特撮であること」を気づかれないのが理想である。

もうひとつは「実写では不可能な画」を見せるための特撮。現実に存在しないもの、現実には撮影が不可能なものを描くために使用される。たとえば『ジュラシック・パーク』に恐竜が出てきた時点で観客はその恐竜が現実に存在しないことを知っているので、これは当然特撮による映像なんだということが判っている。そのうえで観客は「この恐竜はまるで本物のようだ」とか「ティラノサウルスこえー」とか思うわけです。

たとえ自覚的に意識していなくても、ただボンヤリと映画を観ていても、観客は前者を「特撮と思って見ていない」し、後者を「特撮だと知って見ている」のだ。この違いは大きい。作り手はこの違いを意識して映画を「どう見せるか」に心を砕かなければならない。それが演出って事なんだと思います。

パール・ハーバー』がどちらを目指すべきだったかといえば、これは言うまでもなく前者だったはずだ。だって恐竜も出てこない、宇宙人も出てこない、黒いコートはためかせて弾丸をよけるわけでもない。戦争の一場面として非常に大がかりな撮影にはなるだろうが、金さえかければ特撮を使わなくても真珠湾攻撃の画は実現できる。セシル・B・デミルならホントにやってたでしょ。まして真珠湾攻撃は、現実にあった歴史的事実である。だからここで使われるべき特撮は、地味に「実写の代わり」としてのみ使用されるべきだ。監督は特撮を使う際には「ホントにこの状況でこの場所からあれを撮影すれば、こういうふうに見える筈だ」ということばかり考えるべきだ。スピルバーグは『プライベート・ライアン』でこの考え方をとことん突き詰めて、まるでタイムマシンであの日のノルマンディーに行って決死の撮影をしてきたかのような迫真の映像を作り上げたではないか?

パール・ハーバー』は「現実には撮影できないカット」「現実にはありえないカメラアングル」だらけだ。カメラは真珠湾を縦横に移動して、投下された爆弾と一緒に落下する。ゼロ戦はバカげた低空飛行で戦艦や空母の間をすりぬけ、カメラもそれについていく。なんだこれは? 『スター・ウォーズ』のデススター攻略戦か? 軍事マニアじゃなくても、歴史マニアじゃなくても、マイケル・ベイがリアリティーに一切気を使っていないことくらい、カメラアングルひとつでわかるよ! 「ホントらしく見せよう」という意志もなく、彼はいったい何がやりたかったのだろう?

この映画は、歴史的悲劇と恋愛ドラマを結びつけた『タイタニック』のヒットを真似た企画だったはずだ。正直オレは『タイタニック』は好きでもなんでもないのだけれど、特撮映画としての志は雲泥の差ですよ。少なくともキャメロンはタイタニック沈没のスペクタクルを丹念にまざまざと見せてくれたし、「実際にタイタニックの船上で撮影したらこう見える筈だ」という映像を見せてくれた。

確かにCGによる特撮で、映像表現の可能性は劇的に広がった。ILMのCGがあれば、もはや不可能はない。だけどそれにハシャいで、カメラをブンブン動かすことで失われるリアリティーは確かに存在するのだ。オレがプロデューサーなら、絵コンテ見た時点でこんな監督クビですよ。こんな簡単なことすら判っていないジェリー・ブラッカイマーマイケル・ベイが莫大な製作費を動かして第一線で映画を作っているということに、オレは戦慄するのです。暗澹たる気持ちになるのです。そしてこういう映画が近年増えてきたことに、技術の進歩とは裏腹に映画というジャンルの衰退を感じるのです。

(評価:★1)

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