コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 四月の雪(2005/韓国)

これは暖かい「四月」なのか、冷たい「雪」なのか。日常なのか、非日常=外出なのか。
SUM

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







劇的であるよりは日常を撮ってきた(といってもデビューから前作までの二本だけだが)ホ・ジノが、より感情がぶつかり合う、出来事も非日常的である、原題「外出」にはそんな意味も込められているという。「妻が事故に巻き込まれたと聞いてかけつけてみれば、妻は不倫相手と事故にあったのだと、その相手の妻と不倫に」という枠組みだけで言えば、どこまでも劇的で、ドロメロにでも何にでもなる。これをホ・ジノがやるとどうなるのか。

配偶者が事故で重傷で目も覚まさない状態の中で、不倫相手の配偶者と会話を交わさなければならなくなったとき、さて自分ならどうんな行動を取るのか。主演の二人も答えを捜しながら演じたというが、当然わかるわけがない。次の台詞がまったく読めないにもかかわらず、画面に現れる台詞の一つ一つは、「わかる」。いや、わかるなんてきっと嘘なのだろうけれど、映画という嘘なのだろうけれど。非日常映画のはずなのに、台詞の一つ一つが、類型的過ぎず、劇的に裏切ることを目指したものでもない、意外であり、等身大であるという、このつかみ所のない「にじみ出るようなキャラクター」まったくもって見事という他ない。

この映画のプロットの二番目の核となるのが、 ペ・ヨンジュンソン・イェジンという同じ境遇で出会った二人の、その境遇の違いである。ソン・イェジンの側は専業主婦で、見合い結婚。新婚の時期は幸せだったが、夫が離れて行っていたという(もちろん、映画の中の本人談であって、それが100%本当だと鵜呑みにする理由はないのだが)。この構図があるからこそ、夫の不倫には憤りを感じるが、ペ・ヨンジュンには惹かれてしまう、というのに結びつくことが出来た。その後、ソン・イェジン夫は命を失い、ペ・ヨンジュンの妻は回復する。すでに日常には戻れないソン・イェジンと、選択を迫られるペ・ヨンジュンでドラマになる。男女を入れ替えてしまうとこの物語はたぶん成り立たない。男の側から見た実に都合のよい設定なわけであるが、最終的に、監督の言うところの、他人なら不倫、自分ならロマンス、という愛(だかなんだかわからないが)の形へ迫っていけたのだから、それでよいというべきだろう。二人が最後どうなるかは描かれないが、たとえていうなら『失楽園』では、二人は離婚してバツイチで再開してもまったく問題なさそうなのにわざわざ死んでロマンにしているが、こちらは死を選択するだけの説得力があるが、答えを教えない。

春の日は過ぎゆく』を見て、ホ・ジノホン・サンス側に寄っていくのを心配した友人がいた。ある意味、それは加速しているが、しかし、ホ・ジノホ・ジノである。残酷であってもえげつなくはなく、やはり、不純でもこれは愛なのだろう。間違っても『スキャンダル』ではない。

ライブ感のある演技もさることながら、前作では主人公の職業という形で作品の前面に出た「音響」も健在。この小さな音も軽視しない音作りは是非劇場など、音にこだわった環境で見てもらいたい。ライブといえば、韓国を代表するアーティストのステージをライブで織り交ぜているのも、なかなかのものである。「写真」→「音響」→「照明」と来た次の主人公の職業は歌手か作曲家かわからないが音楽関係の何かにする伏線じゃないかとすら思ってしまう。4年間のブランクの間にホ・ジノが撮った二作の短編も見事なものだったけれども、私はまだまだ彼に付いていく。無条件に。

(評価:★5)

投票

このコメントを気に入った人達 (6 人)鵜 白 舞[*] アルシュ[*] ことは[*] ペペロンチーノ[*] づん[*] きわ[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。