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[コメント] 野良犬(1949/日)

道なき道を、少しずつ前進する、その結末は見えなくとも・・。(02/09/22)
秦野さくら

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







*『天国と地獄』のネタバレも有り

多くのコメンテータ皆様の感想同様、台詞回し、演出ともに素晴らしいの一言に尽きる。こんな完璧なものを日本映画の黎明期に作られたら、後に続く映画人はたまったものじゃなかったと思う。ともあれ、現代から観ると、この映画はまさに“教本”のような映画だ。(もちろん当時にしてみれば“教本”ではなく、その後、この映画に影響された多くの映画がこの映画を“教本”の座に据え置いた訳だが。)

さて、私はこの映画を「天国と地獄」の謎解き(あくまでも私の謎だが)のために観た。だから、レビューは非常に生硬かつ偏った内容になってしまった。この映画のファンの方には大変申し訳ない。

「天国と地獄」は、私の中に幾つものもやもやとした謎を残した。はっきりと定位しないストーリー運びと設定に、自分の視点を定められない居心地の悪さを感じた。しかし、あの映画のなかで一つはっきりしていることは、黒澤氏は苦渋の思いで「何か」を切り捨てたことだ。しかし、その“何か”については、「天国と地獄」のなかで雄弁に語られてはいない。

対して、「野良犬」。モチーフは「天国と地獄」に共通する部分も多いが、この映画では、登場人物の映画における立ち位置、黒澤氏の主張が明確に表現されている。なんたるパワー。「映画は短い、短すぎる!」黒澤氏の3時間に収まりきらなかったギラギラした「思い」が溢れ出てきて私を圧倒する。それは全編に通じて1分たりとも無駄にすることなく凝縮されているが、佐藤の家での村上と佐藤の対話では、それが言葉として分かり易く語られている。“凶器が悪か、はたまた狂気が悪か”、昔から言及され続けたこのテーマを、黒澤氏は中盤で明確に打ち出し、そして彼なりの“答え”を出そうとしている(“答え”を出している訳ではない。むろん、“正解”など無いのだから)。この点、「野良犬」と「天国と地獄」は非常に対照的だ。「野良犬」は、論点を明確にしながらも、最後はスタンスの異なる二人の対峙シーンで終わらせ一つの答えに収束させるのを避けているが、「天国と地獄」は、論点を明確に打ち出すことなく進行し、しかし最後はばっさりと“切って”いる。

なぜ黒澤氏は雄弁に“語る”のを止めてしまったのか?

それまでの作品のなかで、自身の主張と演出を存分に表現し尽くしたからだろうか?これも理由のひとつにあるかもしれない(1作品のなかでここまでやってしまったら、そりゃそうだ)。しかし、ここで考慮すべきことは、はやり“時代”という決して無視することの出来ない要素である。「野良犬」のなかでしばしば引き合いに出される先の大戦を、同類(映画中では村上と湯佐)を分かつ"犯人"のひとりとして仕立てている。終戦後4年、戦後復興のなかにある人間や社会の悪や負の意識について、それを"犯人"として描き、人々の一致した見解とするにはまだ遅くない年月だ。しかし「天国と地獄」が製作された高度成長期初頭、イケイケドンドン”もはや戦後でない”時代の「こんなはずじゃなかった」人々のために、"犯人"を仕立てあげることなどできようか?そして、“善”“悪”を定位することなどできようか?「世の中が悪いんだよ!」などと声高に叫ぶことなどできようか?

(うーむ・・なんだか極めてアタリマエのことを長々と書いてしまった気が…)

「野良犬」を観て、私の中の「天国と地獄」に対する疑問が全て解決されたわけではない。相変わらず、黒澤氏があの時代に切り捨て、置いてきたものも分からない。しかし、幾つか自分の中で消化したこともある。「天国と地獄」の混沌は、“ありのまま”の混沌であり、混沌を感じ取った私の混乱は、それでよいのだという自己肯定。私が「天国と地獄」で感じた高低差は、黒澤氏の無声の”言葉”によって雄弁に語られた結果であること。そして、「野良犬」の時代には“肉体的な死”=戦争によって万人一致の“悲劇”を定位できたが、その後、精神的な死も含んだ“悲劇”(むしろそちらが徐々にクローズアップされ)は、時代とともに複雑化し混沌としてしまったこと。

「天国と地獄」が、そのような上昇時代のなかで、そして映画人としてのステイタス上昇のなかで、自身のスタンスに黒澤が悩み、それを素直に表現したものだとしたら、それはまさに大成功というわけだ。なぜなら、私がその混沌に共鳴し、こんなに困惑しているのだから。

ちなみに私は犬が好きだ。映画冒頭の狼のようにギラギラとした犬もすっかりアホ面のうちの犬も、同様に大好きだ。映画とは全く関係ない話だが。

(評価:★5)

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