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[コメント] 顔(1999/日)

“あの事件”を容易に想像させる内容。その映画につけた「顔」というタイトルから連想させられるもの。(2002/12)
秦野さくら

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







1997年夏、同僚のホステスを殺害した松山市の女性が、整形を行なって15年にわたり逃亡、時効まで21日を残すところで逮捕された。制作時期、「顔」という題名、整形女性のお尋ねポスター等から、この映画が「福田和子」事件のアンチテーゼとして作られたものであると考えても、それほどおかしくはあるまい。(これに関して、制作側がなんらかのコメントをしているかもしれないが、知らないのであくまでも私の見解とさせていただく。)

この事件があれほどまでに話題になったのは、整形をした女性が、まったく別人になりすまし15年もバレずに普通に生活していたことにある。世間の間抜けさ、女性のふてぶてしさなどもあろうが、なんと言っても、世間の“変身願望”を大いに満足させてくれたことが大きな要因であろう。誰だって一度は考える、もし自分が全くの別人になりえたら、と。福田和子は、世間から「幾つもの別人を生きていた女」と認知され、半ば羨望の眼差しで見られていたわけだ。

さて、この映画には整形は登場しない。前途の事件と似た展開、モンタージュによってつかまりそうになる幾多の場面、整形させないのが不自然なくらいの展開だが、整形はさせない。ここに制作側のメッセージが込められていることは容易に想像できる。“表面的に変わったって、人間そうそう根本から変われるもんじゃねえ。”

この映画においてあくまでも外見にメスを入れなかったのは、その内的変化にフォーカスさせるためであろう。前述の事件への言わば挑戦である。どう見ても外見コンプレックスゆえに引きこもりになってしまった姉は、外的変化を受けることなく別の形で変化を遂げていくことになる。

その変化の種として登場する幾つかのレイプシーン。外に出るきっかけこそ妹殺しだが、その後の変化のきっかけとしてレイプまがいの事件を何度も用いている。(それも、とっても不自然に。)特に「処女喪失」は、妹の発言「早く女になれば」の複線も張ってあり、用意周到。「体が熱いの・・・」の台詞まで吐かせる徹底ぶり。

その事件が必ずしも彼女を完全に変化させたわけではないが、しかし、「女になる」=処女喪失する(セックスする)、という描き方はあまりにも短絡的すぎやしまいか?私はそこらへんの意見はあまり持ち合わせてないが、少なくとも「女になる」=「愛のあるセックスをする」という考え方をしたいと思っている。「整形」を否定して出た答えがこれでは、あまりにもイタすぎる。それで男性に恋させる制作側の神経が分からない(すいません)。

これなら、よっぽど外見にメス入れたほうがまし。いくら酷い「顔」でも、それをかけがえのない自分の顔だと肯定していく過程には、自分の家族が自分の存在にとってかけがえの無いものであると気付いていくプロセスが必要なはず。それをすっとばして早々に母や妹を殺し、妹から受けたトラウマを背負わせて顔はそのままに精神改革していくのはムリがないか?

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藤山直美の母性的魅力にごまかされそうになりましたが、やはり後味が悪かったです。この映画に「顔」というタイトルがついていなければ、もう少し素直に観られたのかもしれません。

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この監督の省略法には、申し訳ないが後半方はうんざりしてしまいました。慣れてくると省略ポイントが予想できてしまったため。

しかし、それなりに面白かったしいろいろ考えさせられたので★3。

(評価:★3)

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