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[コメント] こわれゆく世界の中で(2006/英=米)

"Breaking and Entering"(住居侵入)という、予感をはらんだタイトル。同じ空間を共有しながら互いの世界を隔てて生きる人々にふと訪れる「侵入」の瞬間への恐れと期待。(2011.12.22)
HW

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 息子から話を聞いて取り乱しながらやって来たジュリエット・ビノシュに向かって、「言葉はむなしい!」などとわけのわからぬことを唐突に叫び、半ば勘違い的になんだか困った女たらしを続けていたジュード・ロウが、終盤、裁判所に姿を現わし、ジュリエット・ビノシュの難民親子に救いの手を差し出す。ホッとさせられる反面、物語の登場人物の関係が、究極的には、救いの手を差し出す側と差し出される側、という残酷な非対称のなかに置かれていた事実を思い出させられる場面だ。

 ジュード・ロウの演じる建築家は、都市開発の担い手として貧困層の集う地区に仕事場を構える。少年や売春婦が「侵入」して来るのが、あくまでこのオフィスであり、あるいは車であって、決して彼の住居でないことも気にかかる(一方のジュード・ロウは少年の家を突き止め、母親を通じて部屋に侵入している)。ジュード・ロウにとっては、貧困層の居住区は望めば足を踏み入れられる場所であり、変化を与えようと働きかける対象だが、反対の関係はそうはいかないのではないだろうか。

 だが、そもそもこのジュード・ロウが居場所のない人間として描かれていることも考えるべきだろう。彼は家庭において、自分が妻とその娘のあいだにむなしく割り込む侵入者でしかいられずにいることを感じており、この母娘の堅固な「檻」を遠巻きに見守っている自分にいらだつ。この耐え難い事実から目を背けるように彼はジュリエット・ビノシュとの逢瀬に救いを求めるが、ここでもやはり母子の強い絆を前に侵入者でしかなかった自分を見つけることになる。しかし、その挫折によって、オープニングでは同じ車に乗りながらふたり別々の方向へと視線を向けていたロビン・ライト・ペンと再び向き合うきっかけを得る(車内の場面の反復が効果的)。

 個人的な好みをいえば、中盤のスポーツ・センターの場面前後の、ジュード・ロウら家族三人がうまく行くのではないかと思わせる幸福感に満ちたあのいっときをもう少し見せて欲しかった。この多幸状態が続くのかと思いきや、途端にジュード・ロウの不吉な浮気へと展開して行くので、キャラクターのあまりに見え透いた軽率さもあって、見ていてどうしてもつらくなるところ。

 とはいえ、最終的には、静かな充足感のあるラストに落ち着く。疑いをかけられてしまった清掃係の女の子に対して共同経営者の男が抱く恋心、という、もう一つのほんのささやかな"Breaking and Entering"の物語も悪くない後味に貢献しているだろう。

(評価:★4)

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