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[コメント] アカルイミライ(2002/日)

埋まらない溝。
HW

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







近年の代表的作品数本を見ただけの人間が偉そうに語れたものではないが、『CURE』や『カリスマ』、あるいは『回路』にしても、黒沢清の映画には頻繁に「付与」「継承」「伝播」「伝染」「増殖」、的確な表現が見当たらないが、どこかそういうモチーフが見られる気がする。本作でも、守(浅野忠信)から三村(オダギリジョー)へ、そしてあの高校生達へという「何か」が伝わっていく図式が感じ取れた。だからどうのこうのという踏み込んだ見解は全く無いんですが・・・。(アホ

あまり何がテーマと限定して語りたい映画ではないが、敢えて言えば「ジェネレーション・ギャップ」というテーマがあるだろう。若者が何を考え、何をしているのか分からずに不安を抱き、「把握」しようと不必要な介入を行う大人は、守(クラゲ)に殺(刺)されるという明快な構造。他にもトラックでの画面分割が良い例だろう。同じ車に乗りながら運転席と助手席の間には大きな溝が存在する。溝は最後まで決して埋まらない。

普通ならばその溝をいかに乗り越えて手を取り合い未来へと共に歩んでいくかの経緯が描かれるのだが、この映画では溝を否定しない。でも、考えてみれば、大人と若者が目標を共有して一つの未来に向かって突き進むなんていう方が気持ち悪い事この上ないんですよ。今現在「若者」側に属する人間ですのでこれは憶測に過ぎませんが、本気で自分の子供達に後ろから付いてきて欲しいと思っている大人はそんなにいないんじゃないでしょうか。むしろ子供達には彼ら自身の手で彼らなりの未来を見つけて欲しいと思うのが親世代としてのあるべき姿だろう。大人と若者、無理な合流など計らず、それぞれにそれぞれの未来がある事を肯定し合ってそれぞれ別々に生きていく。毒気のある作品とも捉えられがちだが、非常にまっとうな姿勢を持った素晴らしい感動作だと思う。

ただ、そう語る上で疑問点がいくつか。第一に、やはり高校生のゲバラTシャツ。タイトルに悪意があるかという問題にも関連するが、個人的には、あれは単に「未来を勝ち取りたい」という若者の心を表しているだけだと考えたい。ただし、ラストの彼らの姿にファシズム的なグロテスクさを感じた事は否めない。第二に、スタッフ及びスタッフ車両が映るエンドロール。明らかに意図的に映されているのだが、その意図が分からず。そして最後に、こちらも似た観点からだが、守が自殺する直前の一言「じゃあな」は一体誰に向けられているのかという疑問。俺には、「観客に向かって」としか思えなかったのだが一体・・・。

それと、これは疑問ではないが、DVカメラの使用は一部成功一部失敗という印象。技術的な事は良く分かりませんが、どうにも見るに耐えないようなショットが時たまあった。それともあれも演出の内なのだろうか・・・いずれにせよ勿体無い気がする。

鑑賞後にも度々あれこれと再考してみたが、やはり難しい。なかなか一筋縄では行かせてくれない、貴重な映画体験だった。完全な答えを出せない所がまた魅力的なのかもしれない。また、それを差し置いても素直に感動出来る傑作だ。

(評価:★4)

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