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[コメント] トニー滝谷(2005/日)

色褪せていく記憶が寂しいのでなく、記憶が色褪せていると自覚することが寂しい。(レビューはラストに言及)
グラント・リー・バッファロー

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







自らもロマの血をひくトニー・ガトリフ作品で描かれたロマ文化のとある風習がとても印象に残っている。彼らは死者の遺品を全部焼いてしまい、後に何も残さないというのだ。ガトリフが言うところでは、現世のしがらみを全て消去するためだそうだ。本作を観てふとそのことを思い出した。

あらゆる記憶や物は、時の経過とともに色褪せていく。ただし、記憶は意識にのぼらなければ色褪せていることを自覚することもないが、物は目の前に存する限りいつでも、色褪せていく過程を視覚の情報として感知してしまう。妻が現世に残したたくさんの衣服、父が残したたくさんのレコード。これらのものを目にするたび、色褪せていく記憶が呼び起こされる。記憶が色褪せていくことそのものが寂しいのでなく、記憶が色褪せていると自覚することが寂しいのだ。座り込んで泣き出した女性は、あの衣装が産み出すそんな空気を不思議と察知していたのではないか。やがてトニーは遺品をすべて処分する。

万物流転、諸行無常、世の常である。しかし、トニーはいくら温もりのない作品ばかりを生み出そうとも、過ぎゆく時間の中を生きている。転がる石に苔は生えない。トニー自身が色褪せることはない。あのラストを見る限り、履歴書の女性と結ばれるかどうかは定かではない。しかし、トニーは自分がまだ転がっていることを自覚した。空っぽであるということは、また何かを詰め込むことができるということでもある。

無駄なものをできるだけ削ぎ落としたこの作品には、息もつけないほどの透明感に満ちている。左から右へ流れていく映像(→→)の中で、野菜か果物だかがぼんと上に暴発するシーン(↑)や、妻の死の直前にグラスがテーブルから落ちるシーン(↓)が印象的だった(他にもシーンの中で上と下の移動が登場していたような気がする)。最後に、今まで言ったこととひどく矛盾するかもしれないが、この作品を観た記憶はしばらく色褪せそうにない。

(評価:★5)

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