コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] ブギーナイツ(1997/米)

まさに、イヌとネコと一緒に雪山で遭難したら、イヌとネコを殺して食べて、その後で寂しくなるヒトたちのお話。
グラント・リー・バッファロー

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ポール・トーマス・アンダーソン作品の登場人物はいつだって愚かである。

彼らの過剰な自意識はふとしたきっかけで簡単に消え失せ、元はといえば自業自得なのに取り返しのつかないことをしてしまったと、後になってから醜くも嘆き悲しむ。罪を引き受ける覚悟などありはしない。

主人公のマーク・ウォールバーグがポルノ監督役のバート・レイノルズに「助けてくれ」と泣きつく姿は、とりわけ惨めであり哀れである。

しかし、レイノルズはわだかまりを捨て、ウォルバーグを許し抱擁する。それを観たときに、何か安堵感のようなものを感じてしまうことを禁じえない。

哀れな弱者たちを包みこむ監督を中心としたポルノ映画ファミリーの織り成す小宇宙、その小宇宙はいつもやさしげである。

あのアメリカ合衆国も元はと言えば、旧大陸における弱者の集う新天地であった。ニューヨークの自由の女神の台座部分には以下のような碑文が存在する。

   汝において倦み、貧しく自由の息をもとめるたちの群れを

   汝の賑わいの岸辺に打ち捨てられし敗残の者、

   嵐に追われ、家なき者たちをわがもとに送りつけよ(*)

本作の登場人物たちは、まさに「敗残の者」「家なき者」であり、規模は小さくともあのファミリーは彼らにとって、かけがえのない新天地であった。

本作は穴だらけ、問題だらけの作品である。そもそもデカければいいという男根主義的感覚をアンダーソンは、一度も相対化の回路を通さないままに表現してしまっている感がある。そこだけに限らず、様々な部分でアンダーソンの青さが見え隠れし、それをあざとく使用しているような気がしなくもない。

しかしながら、自己の感情を表現することすらできずに安易な方途で死を選んでいった、これも哀れな人間の一人である助監督役(制作?)のウィリアム・H・メイシーの肖像画がラストの部分でちらと出てくるところを見てしまうと、『アンダーグラウンド』においても展開された、どんなダメ人間をも包みこんでしまう、最低で最高な小宇宙の存在を実感してしまい、到底彼らを嫌いになんかなれないと思ってしまうのは、たぶん私も自分のことしか考えられない哀れで惨めな人間だからなのだろう。ぎりぎりで4点。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

●注記

*引用した碑文は、エンマ・ラザルスという詩人の作品である。確か、この作品自体は自由の女神やアメリカのために作られたものではないと記憶している。手持ちの書物にもこの詩の和訳が載っているが、今回引用したものと違い妙にこなれた日本語であった。難しい表現の訳のほうが個人的にしっくりくると思い、だいぶ前に図書館で書き写したのだが、それが誰の訳であったのか今となっては不明なので、判明次第ソースを記することにする。

●追記及び随想

・とはいっても、この小宇宙が弱者から強者になったとき、タチの悪いものになってしまうのは、20世紀以降のアメリカを見れば明白である。また、アメリカは建国前からネイティブを抑圧したうえに「新天地」を作り出したことを鑑みると、この小宇宙自体がはじめから危険を内包していることを心に留めておく必要はあるだろう。

・冒頭のコメントは、友人との会話に由来している。自己紹介欄でも少し触れたが、自分がイヌ派かネコ派かはかりかねると言った私に、それならと友人が用意した質問は「雪山でイヌとネコと一緒に遭難したらどちらを食べるか?」というものであった。それに対して、素直でない私は「イヌとネコの両方を食べて、そのあと寂しくなる」とある意味「素直に」回答したという次第である。しかし、そもそも この質問そのものが成立しているかどうか怪しい。仮に「ネコと一緒に、イヌを食べる」と回答したところで、そのヒトがネコ派と言いきれるのであろうか?イヌを愛しているからこそ、先に食べてあげるという論理だって成り立つのではないか。……あまり言いきると変態だと思われてしまうのでここらへんで打ち止め。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (4 人)けにろん[*] DSCH[*] Orpheus muffler&silencer[消音装置]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。