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[コメント] 惑星ソラリス(1972/露)

ぬらりとそびえたつビルとビルの間を息苦しそうに縫っていく首都高速。やがてたどりついたのは、宇宙ならぬ人間の心の中の小宇宙。そこで人間が味わうのは真の恐怖。(レビューはラストに言及)
グラント・リー・バッファロー

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







人間の内的世界が実体化することほど恐ろしいことはない。悪夢を観たあとは、たいてい汗がびっしょりになる。その汗の原因は、恐いものを見たということ以上に、そのような恐いものが自分の潜在意識のなかに眠っていることに気づいてしまったからではないだろうか。

ハリーの前に現れた妻は、死んだときの注射の痕がなまなましく残っていた。愛し合っていたときの、おそらくは二人の関係が壊れることなど微塵も考えていなかった頃、愛が始まったばかりの頃の彼女が現れたのではなく、死の直前の絶望したとき、最期を迎える直前の彼女が現れたのである。それは彼の愛情の裏返しではなく、後悔のそれの顕れであり、だからこそ彼は妻の現前を「罪」と感じた。(しかもそこでの妻のイメージは、母のイメージを投影させた恣意的なものであった。)

それでも中盤のエピソードを通じて、ハリーの勝手なイメージで浮かびあがらせた妻のイメージとのかろうじての和解は済んだ。しかし、息つく間もなく、ソラリスはさらなる試練をハリーに、つまりは人間に与えた。はじめのほうからすでに疑問に思っていたことだが、必ずしも一人の人間が出てくるとは限らないのだろう。スナウトが言うようにどんな魔物が出てくるかもしれないし、その人間の認識に従うなら(分裂症でなくとも)同じ人間がいくつも出てくることだってありうる。それでも、それならまだましなのかもしれない。夢の中では一つの世界が形づくられている。その夢の中の世界が丸ごとすべて現前化してしまったら、いったいどのようなことになってしまうのか想像もつかない。あのラストはその想像もつかない混沌の描写だったのだと思う。あの故郷はハリーの認識に従っているため、彼が散歩をしていた範囲までで断ち切られてしまっている。ハリーはその世界に埋没していく。彼にとってそれが幸せだったのだとしても、自分の潜在意識にのめりこんでいくハリーの姿を目の当たりにしている観客は、彼を幸せと言いきれるのだろうか。

ハリーの言う「罪」とは、具体的には妻のイメージとの葛藤だったが、それが示唆する抽象的な意味は、人間が自身の内的世界について責任をもてないということにつながるのではないか。悪夢から醒めた後、汗をかくのと同時に、それが現実でなくてよかったと安堵する。そこでの安堵は、あの悪夢について責任がもてないことの裏返しである。でもそれは当たり前のことである。人間は自身の理性についてはかろうじて責任をもつことはできても、それを越える感情や潜在意識についてまで責任などをもてるわけがない。

しかし、ソラリスにいる人間たちは、現前化した感情や潜在意識を切り捨てることが許されず、否応なしに現前化したそれらと対峙させられる。ギバリャンは恐怖に耐えかねて命を絶つ。サルトリウスは、頑なにそれをすべて幻として切り捨てようとする。ハリーは自分の内的世界を全て受け容れる。聞こえはいいがそれは醒めない夢を見続けることと同義であり、二度とそこから逃れることはできない。この三者の行動はどれも極端なもので、自分ならどうするかと問われたら、とてもこの三者の行動を選択する勇気はない。そうではない選択、それは、確かなことは何もわからず戸惑いその場に立ち尽くすスナウトの選択。しかし、スナウトはソラリスに残り続けなければならない、すべての行方を見守るために、なんて残酷なのだろう。

*さすがに一度ではまったく意味がわからなかったので(不覚にも眠ってしまったので)、珍しく短いインターバルのうちにビデオで観直した。一度目はちゃちく見えた宇宙船も、見慣れてしまうとそれなりの説得力をもつ。

(評価:★3)

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