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[コメント] 息子の部屋(2001/仏=伊)

精神分析医の目を通した自己と他者の距離について。(再見につきレビュー全面改定 3/9/05、レビューはラストに言及)
グラント・リー・バッファロー

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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3年ぶりに再見したが、初見時にはどうして主人公が精神分析医という設定にしたのかよくわからなかった。今回、その理由が少し見えてきたような気がするのでレビューを改めたい。

その方面に暗い私には精神医学と精神分析学の違いもあまりわかっていないのだが、本作における主人公の仕事振りから見ると、彼は患者に対して踏み込んで治療を加えていくのではなく、あくまで聞き役に徹しようとしている。相手と一定の距離を保ちながら、患者を自ずから楽にさせるというのが彼のポリシーなのだろう。一部の患者からは、そうした彼の手法が極めて冷淡であると指弾を受ける。しかし、それは高みにたって見下しているわけではなく、相手の人格を尊重し傍に寄り添うことを意図している。だからこそ、彼は自分のスタンスを変えず、聞き役であることを徹底させるため、診療外の時間でも患者の往診には可能な限り対応しようとする。自分の話をすることや相手を自分のやり方に従わせるのは簡単だが、他者の話をじっと聞くというのは大変な忍耐力が必要だ。

彼は家族に対しても同様の姿勢をとる。家族個々人の人格を尊重するがゆえに、彼女たちの内面に踏み込もうとしない。娘の彼氏は気になるが、直接茶々を入れたりはしない。現代っ子でいまいち競争意識に欠ける息子を少し頼りなく思いながらも、強引に性根を叩き直そうとはせず彼の意識が変わるのをじっと見守っている。二人で並んでジョギングをするシーンが示唆に富む。

息子の死後、いくら辛かったとはいえ、なぜ彼は仕事を辞めるという大胆な決断をしたのか。

彼は息子に対して、相手に対してもう一歩踏み込めなかったことを初めて後悔した。そう思った途端、彼はもう聞き役に徹することができなくなってしまった。彼にとってもっと大事なスタンスが崩れてしまった以上、もう仕事を続けることができないと考えたのであろう。彼の中で自己と他者の距離が自明なものではなくなった。果たして自分のやり方は正しかったのか、彼は自信喪失と混沌の海に埋もれていく。

だが、そんな身動きのとれなくなってしまった彼を再び動かしたのは、やはり彼自身の思考であった。むろん息子の元ガールフレンドの訪問がきっかけとはなったが、自己と他者の適切な距離を思い出したのは、他ならぬ彼の内なる声からであった。

彼がまた精神分析医の仕事に戻る可能性は低いかもしれないし、その前の様子を見る限り残された三人の家族はいずれ離散していく可能性も否定できないが、彼が自己と他者の距離を思い出し、自己のスタンスを再び持ち得る契機を得たのは大きな前進であったと思う。

本作に物足りなさを感じる方が多いのは、作品全体を通して主人公が常に他者と一定の距離をとり、相手に対して踏み込む部分がまったくないこと(ゆえに劇的なシーンは登場しない)に由来しているのではないだろうか。しかし、強引な干渉をせずに、あくまで自己の内なる理性を信じて、風が吹くのを待ち続けるという ナンニ・モレッティの頑固な信念と辛抱強さ(是枝裕和のスタンスに近いのかもしれない)に私はとても好感をおぼえる。今思うと、ブライアン・イーノによる主題歌の題名が"By" This Riverだったのも味わい深い。

*前のレビューに投票いただいておりましたが、本作は自分にとって大切な作品で、今自分が考えることを書き直したいと思い、前のレビューは削除しました。すみません。

(評価:★5)

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