コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] ノー・マンズ・ランド(2001/伊=英=ベルギー=仏=スロベニア)

ヒトの下に仕掛けられた地雷、の先にあるものは?(レビューはラストに言及)
グラント・リー・バッファロー

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







興味深い設定だった。一ボスニア人と一セルビア人が、はじめはお互いの帰属意識から相手をなじっていたのだが、いつの間にか、ごくごく個人的な恨みから相手を攻撃するようになる過程は、まるで戦争そのものの起源にたち帰っているような思いを抱いた。

他方で、二人に愚かな争いをやめるように訴えるもう一人のボスニア人。彼の下には地雷が眠っている。取り除くことのできない地雷、存在することはわかっていてもどうすることもできない地雷、それは人間と戦争との関係をも示唆しているのだろう。

しかし、作品全体の流れのなかで、中盤はだれてしまう印象。冒頭の霧のシーンはおもしろかったが、そのあとでの塹壕の中での理不尽な状況を作り出すための説明的なくだりの部分には多少くどさを感じた。(『鬼が来た!』は、理不尽な状況を唐突に作り出して強烈な印象を残した)

ラストはあの国連の軍人が悔しがるところで終わらず、地雷を仕掛けられたまま放置されるボスニア人を映し出すところで終わるあたり潔いことは潔いかもしれないが、やはり不満が残る。この映画の姿勢そのものも、あのボスニア人を見捨ててしまっているようにしか感じられなかった。はじめからそういうつもりではないのだとしても、それでは何に対する糾弾にもなりえず、ただ状況を相対化しているだけのように感じる。映画が、作家性が、提示すべきなのは「その先」ではないだろうか。「その先」をみせたうえではじめて観ている側にボールを投げるのが、こうしたテーマを提示した作品の落としまえかと私は考える。そして、彼を生かすことはできなくても、彼に何かをしてあげることはないか、そう考えるのが人間らしさかと個人的には思う。そういう部分も突き放してしまう冷徹な視点を提示するほどには、本作はコメディー的な部分にもシリアスな部分にも振り切れていないように感じた。優れた作品はその二つを両立させたうえで新たな視点を提示するはず。

*むしろ地雷を仕掛けた主体は誰だかわからないほうが、設定が活きたのではないだろうか。これでは、この地雷を仕掛けた特定人物にかなりの部分の責任のバイアスがかけられるような気がするが、それは本作の意図するところではないだろう。

(評価:★3)

投票

このコメントを気に入った人達 (4 人)kiona[*] ねこすけ[*] ざいあす[*] 埴猪口[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。