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[コメント] ガタカ(1997/米)

私には「ガタカ」で描かれる未来が他人事ではないように思える。
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■‘Cleanness’から見た「ガタカ」■

ムダ毛を剃刀で剃る。入念に皮膚を摩擦洗いする。落下する爪の欠片。頭髪。雲脂。ウルトラ・クロースアップで巨大に画面を埋め尽くす《不潔》な老廃物。存在感が誰の眼にも明らかに強調されているオープニング。

塵芥が吸い込まれていく。雲脂、毛髪、手垢が隠滅されていく。これはジェロームが機密保持のため小型掃除機でキーボードの溝を掃除する冒頭のシーンだ。 彼の行為はある意味オブセッションのように見える。

或いはたった1本の睫毛。ガタカ内部で犯罪捜査中に発見された睫毛。それが運命を左右させる重みを持つ。

‘Cleanness’=《清潔》さは「ガタカ」を読み解く上で重要なポイントだ。私はそう思う。この映画で巨大な負のオーラを放つ《不潔》な老廃物を見ていると、とても他人事ではない気がするのだ。 

理由。

■ 今日の我々若い世代を取り巻く「美」の状況。■

これが「ガタカ」で描かれる世界を私に強く連想させるのだ。

例えとしては私の属する大学が最適だろう。要するに、学生たちが物凄くオシャレなのだ。美しいのだ。そして《清潔》なのだ。(乱暴かつ無責任な物言いを承知でいうと)これほど身体/被服にエネルギーを注ぐ一般人の群れは世界最大規模最高レヴェルである。無論、その他の日本の大学生のファッションもハイレヴェルな点では相違ない。

穿った見方をすれば、目的は勉学ではないようにさえ映る。いうなれば大学とは中世ヨーロッパの社交パーティなのだ。最大限おめかしをして交流の楽しさを享受する。

そして重要なのはキレイであることへの関心。こだわり。つまり「美」よりも、「美への意思」だ。先天的な外見の良し悪しは昔ほど重要ではなくなっている。何故なら現代では美容に関する商品がコンビニで手軽に入手可能であり、ある程度までなら「矯正」可能だからだ。汗の匂いも口臭も顔のテカリも簡単に誤魔化せるのだ。身体に付随するあらゆるネガティヴな要素の剥取が、前提なのだ。その前提をクリアした者だけが社交パーティへの参加を許可される・・・。このようにして《清潔》であることが人間が人間たる最低条件であるかの如く学生たちは跋扈している。

異世代の人々の理解は容易には得られないだろうと思う。暴論であるかもしれない。それは我々にとって「人間の条件」なのだ。「ガタカ」の世界に於いて遺伝子操作の子供が最低の条件であるように。もしこの文章が微かにでも印象に残ったのなら、明日から大学生、高校生の身体に是非とも再注目して欲しい。意味を探って欲しい。我々のヘアスタイルに、髪の色の微妙な差異に、眉に、顔肌のキレイさに、ヒゲのスタイルに、ピアスに。頭部だけを取ってもこれだけ列挙できる。それらに費やされた厖大な時間を! 経費を! 執着を! 労力を! 我々は顔面の1mmに命を懸けているのだ。睫毛1本に。

そう、ジェロームと何ら差異はない。

*ちなみに女だけの問題ではない・・・男も同質である。コンビニでメンズのファッション雑誌を立ち読みすれば身体の細部に至るパラノイア的固執で埋め尽くされているのが分かる。

例えば10年前、制汗デオドラントは現在程メジャーな存在だっただろうか。口臭予防グッズは簡易に入手できただろうか。整髪料は? テカリ防止用脂取り紙は? 足の消臭スプレーは? それらが今日、コンビニの商品棚で、テレビのCMでどれだけ幅を利かせていることだろう。

我々はオヤジ臭を敬遠する。彼らの醜く出張った腹を蔑み、テカッた顔を嫌悪し、身体と被服についての「信じられない」無頓着さを嗤う。満員電車での汗じみたハゲは汚物並みだ。オヤジはキモイ、触りたくない、見たくない・・・。現在の日本を動かしているのは斯様なオッサン/オバチャン世代だろう。けれども当然ながら世代は変移する。我々若い世代が将来大きな影響力を持つとき、今日よりも社会は、人々は確実に厳密さを要求される。

薬品・化粧品会社は苛烈な販売競争のため鋭敏に社会のニーズを察知する(或いは無理矢理に傾向を産み出す)。そして果てしなく次から次へと新商品を開発していくだろう。美容のため、《清潔》のための関連グッズは更に更に身近な存在になる。並行して《不潔》さに対しての不寛容さも飛躍的に高まっていく。キタナイ者は最早許されざる存在になる。

そして社会は変貌する。

新たな価値観による身分社会の誕生。

飽くなき《清潔》化への流れに対応できる者は《valid》。追従して行けない者、流れに窒息してしまった者は《invalid》だ。現在はその悪夢的な未来の萌芽期といえる。

社会は《清潔》さを喉元に突き付ける。

恐らく誰も私を見て《不潔》な印象は受けないだろう。それは身体の瑣末的要素まで苦労して手入れを怠っていないからだ。殆ど肉体改造といっても過言ではない。CMでもお馴染みの某化粧品会社の顔用保湿クリームとローションを一時期使用した経験がある。がある、と過去形にしたのは明らかに私の肌がそれらによって炎症を起こしたからだ。当然、使用は中止した。以後、皮膚科で貰ったステロイド系軟膏は手放せなくなった。いつ何時、消臭スプレーに含まれる大量の化学物質が反乱を起こし、皮膚を滅茶苦茶にするのではないかという恐怖に怯えながら、それでも消臭スプレーを欠かせない日々。断っておくが、私は特別に臭い恐怖症やら外見的コンプレックスを抱えているわけではない。キレイな大学生たちも眼に見えぬ虚像相手に自らを合致させるべく密かなる努力をしているのかもしれない。一体《清潔》さとは何者なのだ。このモンスターは。我々は誰に身体を合致させようとしているのだ? テレビの俳優なのか? 

先にも述べたが化粧品会社、美容商品。つまりモノだ。それが理由の一つなのではないか。モノによって《清潔》への道が容易に開かれている。大量にバラ撒かれるモノが人々に共通観念を植え付けていく。モノによって《清潔》になることでそれまで意識されなかったキタなさが意識されていく。《不潔》が生まれる。そして人々は《不潔》な者と認識されるのは嫌だから《清潔》を目指す。疑うことなく。歪んだ上昇志向が生まれる。戦前の人は汗の匂いなんて今日程は気にしていなかったはずだ。人々は追い詰められている、と思う。

次は一体何を矯正させる商品が発売されるのだろう?

いうまでもないが、疲れる。《清潔》さという怪物相手に自分を無理矢理嵌め込むのは。換言すれば、毎日毎日が欺きの連続なのだ。自らが背負った負性を暴かれないように生きているのだ。《清潔》になるため大量の時間を消費しているのだ。それが先天的に「最低の条件」を満たさざる者の哀しみだ。ジェロームのように。生得的な欠点を悟られまいとする彼の密やかな努力に、私はいつも自らを重ね合わせている。私には社会がガタカのように思える。そして、流れを止められないという、絶望。

あ、遺伝子操作で皆が身体的瑕疵なく《清潔》な状態で生まれてくる社会が出来たらこんな苦労はなくなるんだな・・・。しかし何てイカレた文章なんだ。

(評価:★5)

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