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[コメント] ファニーとアレクサンデル(1982/独=仏=スウェーデン)

苦。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







*ここのコメントを読んで、自分だけかなり観点が異なっているようなのでなんか不安だな・・・。

過去のベルイマン作品と異なり、なにやら「明るい」作品であると耳にしていた。が、実際は超ド級の苦悩の嵐。それまでの作品を一まとめにし、更に煮詰めたかのような、身体中に響き渡る重さだ。観終わってこれほど疲れた映画は今までになかったと断言する。長さの為だけではなく、観ている最中ずっと私自身の苦痛を思い出させてきたからだ。

「リアリティ」のある映画だ。何がリアリティかはよくわからないが、今回は映画的編集術など忘れたかのような長さにそれを見出せた。とても2時間程度で収まりきることの出来ない強いエネルギーが感じられる。一つ一つじっくり見せなければ気がすまなかったのだ。省略などせず、出来る限りありのままを見せたかったのだ。きっと。

同時にクソマジメな映画でもある。娯楽度ゼロの楽しさのまったくない展開だが(しかもテンポは終始変わらない)、何故かだれている部分は感じられなかった。深い真摯さの為もあるだろう。そしてリアリティの為でもあるだろう。

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』のコメントで記憶を語るのは優しさを内包する行為だと書いたが決してそれだけではないようだ。この映画に暖かさはない。少なくとも、本質は暖かさではない。

5時間をかけて提示されたのは希望でも絶望でもない。解答などなかった。

ラストの「逃げられないぞ」という主教の幽霊のセリフ。苦痛から逃げられない。運命から逃げられない。オブセッションから逃げられない。「例え諸悪の根源であった主教がいなくなっても、いつかまた主教の替わりが出現するだろう。一人とは限らないかもしれない。自分が生きている限り、ずっと襲い掛かってくる。逃れられない」ということに、アレクサンデルは無意識的に悟ったのだろう。これから長い人生のこと。彼が一歩大人の世界に足を踏み入れてしまった瞬間だ。

この長き物語に、核があるならば、そこにある。アレクサンデルがそれに気付いたような描写ではなかったと思う。しかし、監督であるベルイマンが気付いたことだったのだろう。だからこそ映画にまでして語ったのだ。

辛い。苦しい。憎らしい。恨めしい。腹立たしい。怒り。痛み。恨み。悲しみ。悔しさ。理不尽さ。やるせなさ。無力さ。情けなさ。ストレス。はらわたは煮え繰り返り、手に冷や汗をかき、歯を食いしばり、心は怒りの炎に燃え上がる。

タイトルにもあるファニーとアレクサンドル。しかし、2人の視点から見ているシーンはさほど多くなく、更に2人が多くを語るわけでもない。それは自分の力ではどうにも出来ない運命を強く意識させる。

苦しい映画だ。

だが、ここではその苦しみに対し、励ますわけでも、希望を見出せるわけでも、逃避するわけでもない。じっくりと「苦しみ」そのものを描いているに過ぎない。その「苦しみ」により導き出されたものは、少年が大人の世界に踏み出したこと、そして(断言できないが)それは諦念なのだろう。達観ではなく諦念・・・だと私は思う。

(評価:★4)

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