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[コメント] ワン・フロム・ザ・ハート(1982/米)

納豆の糸のような、繋がり。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







この映画の雰囲気は、私の嫌いなフェリーニのそれに似ている。それに度々挿入される歌も、正直ウザイ。最初は「こりゃハズレだ」と思っていたのだが、時間の経過とともに評価は上がっていった。

とても暖かい映画だと思う。登場人物は皆、繋がっているのだ。そんな印象を受けた。もちろん最も強い結びつきはフレデリック・フォレストとテリー・ガーのカップルだ。編集/撮影方法が独創的で主題を語っている稀有な例なのではないだろうか。普通、個々のエピソードはカット・分割し結合しいる。ところがこの映画の多くの連結は、カットされることなくカメラで一気に撮られている。〔街での女のエピソード〕→カメラ移動→〔男のエピソード開始〕みたいな感じだ。これが良い。登場人物たちは同じ惑星に存在している‐「繋がっている」感‐みたいなものを意識させされる。『マグノリア』でも効果的に使用されていた技法だ(ポール・トーマス・アンダーソンはこの「繋がってる」感を出すのが巧い)。

ラウル・ジュリアやナスターシャ・キンスキーは最終的には蔑ろにされてしまう。しかし彼らは単なるザコキャラではないのだ。彼らも「何か」で結びついているのだ。彼らは確かに存在し、相互に繋がっているのだ。(20そこそこで何言ってんだか、と思われるかもしれないが)人間の関係性は糸のようなものである、と常々意識している。太くなければ、あっさりと切れてしまう。死ぬまでにどれほどの数多の糸を切って(切れて)生きていくのだろうか。

■で、思ったこと。この映画にも人間が登場する以上「糸」は存在する。だが、糸は糸でも納豆の糸なのだ。粘々して、時に不快であるにせよ、何らかの形でしぶとく繋がっているのだ。容易には分離されない。我々は納豆の豆なのだ、そんな意識を抱かせてくれた。繋がっている。

*ラストでテリー・ガーはどうやって帰宅したのだ? 飛行機から飛び降りたんかいな!? 一応つっこんでおきます。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)けにろん[*] のこのこ

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