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[コメント] マニュファクチャリング・コンセント ノーム・チョムスキーとメディア(1992/カナダ)

 どこまでも公平に、どこまでも忠実に、そしてどこまでも深く突っ込め!
にくじゃが

 チョムスキー氏自身が「テレビは私が怖いんだ。なぜなら正しいことを包み隠さず言うからだ」というようなことを言っていたけれど、反論としてテレビの関係者の意見もきちんと載せていて(その反論の仕方が楽しかった。「チョムスキーさんは喋りすぎるし、考える時間長過ぎ。テレビ向きじゃない」って素直な意見だ)、なるべく公平にという姿勢をきちんととろうとする頑張りが見られた。まあそこらの通行人がみんな「メディアは嘘を付いていると思う」って答えるのは少し作為的な感じがしなくもなかったけれども。

 それとチョムスキー氏のコメントシーンでは彼に語りたいだけなるべく語らせて、彼の思想をなるべく深く汲み取ろうという姿勢にも好感が持てた。なぜ彼があんなにメディアに無視されるのか、喋らせ続けることでちょっとだけ見えてくる。これは製作者の勝利だね。

 また、深刻なことを扱っているのだけれど、そこかしこに遊び心が見られてちょくちょく笑えた。ただ記事を載せるだけでもいろんな登場のさせ方が出て来て見ていて単純に楽しい(一番印象に残ったのは批判記事がコーヒーに突っ込まれていたところ)。また、とにかくよく喋るチョムスキー氏がテレビに出演なさるときにいちいち「これから撮るところはプロフィール紹介の時に使うから、喋らず、じっとしててください。」と言われるところとか、テレビ側の判断でチョムスキーがこれから長々と語り出しそうなときに「はいっ、では今日はこれまでっ!」なんて切られる時のチョムスキーの顔なんか笑い事じゃないんだけど笑えた。

 映画の主役にチョムスキーを据えた時点で、もう公平ではない。それがテレビみたいな「生」の映像を伝えられない映画の弱点だろう。じゃあ、なるべく公平にどちらの意見も採り入れるように努力しようというこの姿勢は評価する。その結果バカ長いドキュメンタリーになってしまったけれども、まあしょうがない。何はともあれ、力作。

(評価:★5)

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