[コメント] パーフェクト・ワールド(1993/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
映画を支えているポイントのひとつに、州警察に同行する女性心理学者がいます。彼女の存在はナレーター的なもので、ブッチがなぜ犯罪に染まっていったか、そしてなぜ子どもにやさしく、子どもに厳しい親を見ると怒りだすのかを、その生い立ちから説明してくれます。しかし事件の解決そのものにはたいして重要な働きもせず、最後には「彼(ブッチ)は子どもを撃ったりしない」という確信をもっていながら、FBIの狙撃を止めることもできません。わたしは何だかそこに精神分析に対するイーストウッドの揶揄を感じます。結局つじつまのあった説明にはなるのだろう。しかし、だからどうだ? といった。
心理学者の助けを借りて、わたしたちはブッチの行動を理解し、ある程度それを許容さえしながら映画をながめていきます。しかし当のブッチは、自分が子どもの頃ひどい目にあったから自分は親から子どもを守るのだなどということは、当然のことながらいっさい言いません。そして自分にひどい思いをさせながらも、そっと信じつづけている父親のことをもらすのは、同じ子どもとしての立場にあるバズに対してなのです。そしてそれが明かされるとき、彼は全編を通じて子どもという立場にあったことが明らかになるように思います。
それはおそらく許されないことでしょう(子どもやどうぶつが好きな人は、自分が子どもやどうぶつでないから、それを暗黙のうちに評価されるのでしょう)。だから彼は射殺されねばならなかった。このストーリーの中での、ブッチには終始見えざる父親的な存在であるイーストウッド演じる署長の目の前で。
署長はどこまでも大人です。判事にステーキをおごってまでも世界を変え、子どものよかれと思うことをする。たとえそれが理解されなかったとしてもおそれません。しかしそれはやはりすれ違い、悲劇の結末へとひた走ります(どうあれああなっていたようにも思いますが)。
ブッチによせられる好感は、だから見る人の子どもへの好感そのものなのでしょう。それは子どもやどうぶつが好きな人はいい人、というひねった視線ではないように思います。まあ、こんなことどうでもいいことですが(ホントはもっと違うこと書こうとしていたような…)。
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