[コメント] 電車男(2005/日)
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このスレが話題になった当初から、この物語の主役って電車男ではなく住人たちなんじゃないかって思ってました。だってそりゃオタクだって恋もすれば、人によっては告白もします。恋のスタートが多少ドラマチックだったからとはいえ、そしてアドバイスをくれたのが顔も知らない人々だったからとはいえ、基本的に電車男本人のストーリーは大してものスゴいお話でもないわけですよ。
僕が当時この話に面白みを感じたのは、板の住人たちがその存在の真偽すらも本当はハッキリとは判らない“電車男”に対し懸命にアドバイスを送り、その結果として電車男が自分たちより遥か高みに登っていってしまった、その何とも言えない切なさにだったんです。彼らは自嘲の念を込めながら面白可笑しくレスを続けます。これは「師から巣立った弟子」なんて美しい関係じゃない。「後輩に追い越された先輩」です。それでも彼らはその思いを笑いに転化させた面白レスを続け、やっぱりまた電車男を応援し続ける。電車男が実話かどうかは僕には判りません。だけど彼らは確かに“いた”んです。そしてひょっとすると今でも“いる”んです。もう正直たまらんです。
まぁ僕のこの視点がネット住人の総意だとは全く思ってないんですが、とはいえ世間的に「オタクたちから応援を受け、オタクを“脱して”恋をすることができた男の感動ストーリー」と捉えられているのにはちょっと違和感があるんですよね。何ていうか、この話が話題になり出した頃と映画化・ドラマ化された頃だと、物語の捉えられ方に変化が生じてきちゃってる気がするんです。
もちろん今作ではそんな住人たちの叫びも描こうとはしてくれていますし、電車本人もラストでは百式Tシャツに戻ってくる。話題作を急遽映画化したにしては、ネット側の人々をも意識して作っているのは感じられます。その気持ちは買います。その気持ちは買うんだけど、でも個人的にはやっぱりまだ足りないんだよなぁ。結末を知ってる恋物語の主人公よりも、その後どうなったかも判らない多くの住人が“存在したこと”を見せて欲しいんだ。
僕はこの「不特定多数の主人公が電車男を巡って一つになる(しかも己の境遇には目を瞑りながら)」という部分が上手く消化されない限り、映画化されようがドラマ化されようがスレの面白みは越えられないように思います。電車とエルメスの間にスレ違いや別れの危機なんかを演出すればするほど、物語は陳腐な恋愛話に収束されていきます。まぁだけど流行り映画にそれを求めるのも無理な話なんだろうし、思い切りそっちに針を振り切ったところで上手くいくとも思えないし、結局こんなところが本当に無難な着地点なんでしょうね。決してつまらなくはないし立ち位置にもバランス感は感じたけど、「電車男を映画化しました」以上の意味は感じられない作品だったように思います。
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