[コメント] 男たちの大和 YAMATO(2005/日)
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何というか、どうも腑に落ちないんです。当時の世相というか人々の心情って部分なんですけど。いや、もちろん僕なんて戦後数十年も経ってから生まれた人間ですから、その当時の話なんてどこまで言っても伝聞でしかないんですけどね。にしても今まで聞いてきた話とはやっぱり違う。
もちろん人はどこの国のどの時代においても人ですから、愛する家族が死んでしまうのはこの上ない苦しみだったはずです。だけど当時ってあんなに大っぴらに(例えば街中で大声で)「死んだらいけん!」と叫べる状況だったのかな。「日本は負けるだろう。だが・・・」なんて言葉にできる時代だったのかな。少なくとも僕の祖母は「天皇陛下は神様で、日本は神国だから」って普通に言ってました。「お国のために死ぬのは名誉なことだ」と言ってました。
あの戦争において「日本が間違いを犯した」とするなら、それは「進歩を軽んじ、精神論ばかり重んじた」ことなんかじゃない。自国において「死にたくない」と言うことも許されずに妄信的に突っ走ってしまった、突っ走らされてしまったことがより原点としての間違いだと僕は思います。そこを無しにして憂国烈士の死に様を描けば、それは当然美しくて儚い物語になるでしょう。でもそれってホントのホントにフィクションです。もちろん物語上のような考え・発言の人もいたでしょうが、それに対してより多数いたはずの「神風が吹く」だの「進め一億火の玉だ」的な人が、あまりにも出てこなさすぎるような気がするんです。そりゃ現代人に受け入れられやすいはずです。
もちろん更に話を深めていけば、いろんな政治的スタンスの話になっていくでしょう。そしてその点で観るなら、今作は愛国の映画なのか反戦の映画なのか、非常に曖昧に作ってあると思います。今の世情を鑑みれば非常に愛国心に富んだ映画だと受け取れますし、大和沈没の悲惨な描き方を見れば反戦の映画だという言い方も成り立つでしょう。ただそんなスタンスは映画とは別の話として置いておくとして、当時の世情や実在の戦艦の中に現代人がシンクロしやすい心情・感情を持ち込んで、その上で「当時の人はこんな風に考えて戦い、死んでいったんだ」と描く手法は、愛国映画としても反戦映画としてもあまり良い手法とは思えないなぁと感じました。
あと今までのコメントとは全然関係ないんですけど、軍港であった呉の町に終戦後行き場を失った闇物資が溢れ、それを死に場所を失った若者たちが売りさばくことで広島闇社会が隆盛を迎えるわけで、今作がそのまま『仁義なき戦い』に繋がっていくのかと考えると、東映ヤクザ映画ファンの僕としては妙に燃えたりもするのでありました。多分こういう燃え方してるのは僕だけだと思うので、記念に書き記しておきます。ばんざーい。
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