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[コメント] フラガール(2006/日)

怒濤の勢いで繰り出される大技はどれもダイナミックで、涙を搾り取られるには充分なほどによく出来ている。ただ残念なことにその大技と大技の繋ぎの粗さが目に付いてしまう。
Myurakz

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 「良い映画」か「悪い映画」かと言われればそりゃもう断然にいい映画だと思う。オープニングから画面に溢れ返る「総天然色」的な色使いは懐かしく楽し気で、僕らの抱く「常磐ハワイアンセンター」の古めかしくも陽気なイメージを煽り立ててくれる。

 松雪泰子はダンスの素晴らしさはもちろんのこと、声が腹から出ていることが気の強さを充分に表わしていて、特にバス内での揉め事を一喝するシーンは格好良いことこの上ない。蒼井優の福島弁ボソボソ喋りも方言フェチにはたまらない。そうなんだよな、方言って「単語や発音」だけでなく、きっと「話し方」も含めての呼び名なんだ。

 ただ一点引っかかったのが、今作が「先に泣かせどころの大技を多数用意して、その大技と大技を線で結ぶ様に物語を描いた」ように見えるってことだった。要は「物語ありきの泣かせどころ」ではなく、「泣かせどころありきの物語」になっていたように見えるってことだ。だからその大技自体は十全なる破壊力でこちらの涙腺に挑みかかってくるんだけれど、その大技と大技の間に僅かながらの軋みが生じる瞬間があるように見えるんだ。大技で表現される感情の振り幅が大きいだけに、何かその間にある「微妙な心情」が描ききれていないように思えるんだ。

 例えば小百合の父(志賀勝)が死んでからの一連のシーン。「フラを薦めてくれた父のために踊ることを決意する小百合」まではいい。ただそこがその後の「死に目に間に合わずに罵倒される面々」と上手く噛み合い切っていないように思える。ポジティブなダンスとネガティブな死に目の継ぎ目が、どうもしっくりいっていない気がするんだ。フラを薦めたのは父自身であることをどれだけの人が知っているのか。その上で踊ることを選んだ小百合の決意を見ているフラガールズの面々のリアクションはあれで正しいのか。細かな部分が抜け落ちている違和感がある。

 同様に親友の早苗(徳永えり)が去って骨抜きになった紀美子(蒼井優)が、まどか先生(松雪泰子)に食って掛かるシーンも気になった。だってあれはまどかが早苗のために父に挑みかかった直後なわけで、いくら何でも紀美子はまどかを「外の人」呼ばわりはできないはずなんだ。そして仮に若さゆえのいらつきでそれを言ってしまったんだとしても、それはこちらが共感できる憤りにはならないんだよ。ただ一方的に紀美子が悪い喧嘩を見せられても、それを「相互理解」や「成長」とは受け取りづらい。むしろ映画における「揉め事のための揉め事」のように思える。

 もちろん上記のシーンは言ってしまえば小っちゃい話で、セリフ回し一つでどうとでもなる話だ。何ならこっちで脳内補填することだってできる。でもだからこそ、そんな小さな部分を「物語の都合優先」にしないで欲しい気はするんだよな。そこでこちらがしてしまった補填が、その後の大技にちょっとばかりの影を落とすんだよ。

 そういう細かな観客への甘えが最も顕著だったのが、小百合のキャラクター設定だったと思う。僕も観終わってから初めて気付いたんだけど、この小百合って人物の説明ってほとんど無かった。「大きな体を理由にイジめられていた」とかそういう説明が、“されたような気がしていた”んだけど、実は全然されていない。語られるのは「ボーっとしていて父が優しい」ってことだけだ。じゃあ何で僕がこの人物を理解した気になっていたかっていうと、それは「しずちゃん」だからなんだ。「山ちゃんにいつもバカにされているしずちゃん」だから、この小百合という人物を分かったつもりになっていたんだ。もちろんそれ抜きでも物語は回るし、それなりのキャラクターにはなっているんだけど、これだけのインパクトを持った人を使っているのに何だか勿体ない気がした。

 最後に出る字幕がまるで「これは実話ですよ」と言わんばかりであったことも甘えだと思う。現実には「平山まどか」なんて人物は存在せず、ただモデルになった「カレイナニ早川」って人がいるだけだ。だからもちろんあれやこれやのエピソードだってフィクションなんだ。フィクションならフィクションで構わない、というよりその矜持を持って堂々とすべきなのに、最後の最後で観客に「こんな実話があったなんて」と思わせようとする作りをするのは、ちょっと保険をかけているようにも見えてしまった。

 そんな中で僕が一番好きだったのは、早苗が夕張へと移っていくシーンだった。このシーンは上記のような軋みが一切なかった。早苗の踊ることへの喜びも地味に描き続けられていたし、彼女自身のキャラクターもしっかり立てられていた。何より“語られない物語”がリアルで厚みがあった。「ボコボコにされた父でも家族は家族」だし、「夕張もその後廃れていく」ことも僕らは知っている。「きっと現実にもこんな娘たちは山ほどいたのだろう」と考えさせてくれる。「もしかするとこの娘はこの後も華やかな幸せには辿り着かないのかも知れない」とさえ思う。だからこそ彼女の「一生で一番楽しかった」という言葉が重たくも鮮やかに突き刺さってくる。「こんな中盤で泣いてるのはどうなのよ」と思いながらポロポロ泣いた。ここはこちらが脳内補填をするのに違和感を感じない細やかな作りをしてくれていたんだと思う。炭坑物らしい切なくて良いシーンだった。

(評価:★3)

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