コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] リトル・ダンサー(2000/英)

男の子というのは、いつだって空を飛びたがる生き物だ。歳をとって大人になってからでさえ、彼の心の奥に小さく居残っている“男の子”はいつも「本当は空が飛びたい」と呟く。
Myurakz

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 この映画は「空が飛べた男の子」の物語だ。良き理解者に恵まれ、自分だけの羽根を見出し、ただひたすらに羽根を広げることだけを望んだ男の子の映画だ。三十を越えてこんなことを言うとバカだと思われるからイヤなんだけど、僕は彼のようになりたい。この映画を観るといつもそう思う。

 そりゃ歳も取った。言いたかないけど清廉でもない。だからって「俺も汚れたよ」なんて酔狂を吐くほど自信家でもない。要は世慣れたんだ。だから大っぴらに「空が飛びたいです!」とか言うのは恥ずかしいし、実際まだ飛べるとはあんまり思ってない。ただ「飛べない」ことと「飛びたい」ことってのは別のお話でね。だから僕はこの映画を観る度に「高く飛ぶなぁ。眩しいなぁ。羨ましいなぁ」って笑うんだ。

 この嬉しい気持ちは、ビリーの父に対しても等しく抱かされる。彼は「己が飛べることすら知らなかった男の子」だ。飛び方を知らないどころの話じゃない。人生の中でロンドンに行く意味さえ持ち合わせていない彼は、ただただ紙で作ったクリスマス帽を被って咽び泣く。そんな「自身が望んで歩んだ“望まなかった道”」に佇む彼の前には、大きな羽を広げて飛ぼうともがく息子がいる。この時父は初めて飛ぶことを知り、彼の息子を飛ばせるということに対して“飛ぶ”んだ。恐らく父は最後まで息子の飛翔の価値はわからなかったと思う。ただ彼にとって「息子が飛ぶこと」それ自体に価値があったんだ。炭坑の奥深くに沈み、日々の暮らしに埋没していく彼もまた、この物語では“飛べた少年”なんだと思う。

 大人になるというのは、子どもじゃなくなるということだ。この映画の演出は、その二つの世界を様々な表現で描き分ける。子どもたちだけで描かれるシーンは常に童話的だ。バスが通り過ぎると姿を消している女の子や、振り返ると変わっている季節。そして童話の世界に生きる子どもたちは、大人たちに接した瞬間、現実の重い世界に放り込まれる。そこは優しい色合いが溢れる彼らの世界とは違い、バスに投げつけられる生卵の濁った黄色や警官隊に殴られる兄の血の赤色が力を持つ世界だ。ここでは前述のような童話的場面転換は一切起こらない。子どもと大人の世界の差異はかくも大きい。

 ビリーを演ずるジェイミー・ベルは、そんな二つの世界の中でときに未来を見据えた明るい大人の表情を、そしてときに大人の都合に苛まれる陰鬱な子どもの表情を見せる。彼の大人の表情は周りの友人らに自我の確立を教え、また子どもの表情は周囲の大人たちに他者への寛容を植え付ける。不自由に追いやられた人々は、彼らなりの自由という尊厳を手に入れていく。親友マイケルの「誰にも言わないでね」というセリフにビリーが見せる満面の笑顔。他者の尊重という言葉がこの表情には深く染み込んでいる。

 この映画は、これらのテーマをポップで優しく、そして少しだけシニカルに描く。これはとても商業的でキャッチーな手法だ。だから上述の童話的演出だって軽いと言えばかなり軽い。ただこれくらいの少し軽い感じが、歳を取った僕にはとても心地いいんだ。ポップで優しいだけなら本当の童話で終わってしまうし、シニカルさや重厚さが先に立っては夢も見られない。ちょうどビリ−の祖母がこの「シニカルさ」と「優しさ」のバランスの象徴的存在となっていて、そんな彼女が物語の後半で自我を取り戻すに連れて、スクリーンには力が漲ってくる。そしてその力を以て、彼女は渾身の優しさで旅立つビリーを抱き締めるんだ。

 子どもの頃、世界はいつも渾身の力で僕らを抱き締めてくれていた。これは家庭環境がどうのとかいう話じゃなくて、世界そのものが僕らを抱き締めてくれていた。だからこそ僕らは飛ぶなんてことすら考えずに飛ぶことができた。大人になってからの飛翔はそうもいかない。一度の飛翔の高さはあの頃より遥かに低く、ただそれを知りながら何度も前へと飛ぶことが必要だ。少しでも高く、少しでも前へ、そうやって初めて階段を一段だけ上ることができる。ラストシーンでの大人のビリーの大きな飛翔。その先の物語は無限に広がる。だから僕はこの映画を観る度、彼のようになりたいと思う。そして「ビリーの父のようにならまだ飛べるかもね、たぶん」って思う。僕にとってこの映画は、そうやって背中を少しだけ押してくれる映画だ。

(評価:★5)

投票

このコメントを気に入った人達 (5 人)pom curuze[*] パッチ[*] [*] イライザー7 シーチキン[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。