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[コメント] 博奕打ち 総長賭博(1968/日)

うっとりするほどの物語の厚み、そして人間の厚み。
Myurakz

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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 いきなり何の説明もないまま仙波(金子信雄)の悪巧みに引きずり込まれる本作。観客はそこで出てくる仙波の悪役像に、任侠映画ではなかなかお目にかかれない「利権」という現代の匂いを嗅ぎとり、これが通り一遍の「任侠映画」ではないことを知らされます。そして続く跡目巡りの話し合いで、中井(鶴田浩二)はそれに対峙させられる「任侠」の人であることがわかります。

 ここで面白いのが、こんな最初で早くも主人公、敵役、そして敵役の策略が全て観客の前に披露されてしまうということ。ついでに言えば主演が鶴田浩二である以上、ラストで仙波が成敗されることすら大体想像がついてしまう。敵味方の関係と目的、そしてラストの展開まで明らかにされてしまっている以上、何ならそこから先なんてもう観なくてもいいくらいのお話なのです。そう言った点でいうなら、本作の冒頭とラストは紛うことなき任侠映画のそれなんです。その様式は決して外していないんです。

 にも関わらず、冒頭で感じた通常の任侠映画と違った匂いは、話が進むに連れ一層強まっていきます。むしろ本来の悪役である仙波の存在は影を潜め始め、それぞれの理由を持った男たち女たちの、互いの事情のせめぎ合いに焦点が移っていく。その一人一人の立ち位置が、全て共感できてしまうことが本作のスゴいところなんだと思うんです。もはや仙波の悪巧みとかどうでもいい。中井の苦悩はわかるし、松田(若山富三郎)も何とかしてやりたい。つや子(桜町弘子)は哀れで仕方ないし、音(三上真一郎)も可愛くて仕方ない。後半に至っては石戸(名和宏)まで侠気の香りを放ち始めますからね。見事なまでに愛せる人々が集い、しかも反目し合ってくれています。

 やっぱり観ていると一人一人の人物造形にスゴく気を遣っていることがわかるんですよ。中井がチラリと「昔の過ちで大阪を出て」と語ることで垣間見える過去の修羅場。温泉旅館でドスを手放さない松田の焦燥。ヨーヨーを練習する音の無邪気さと、そのヨーヨーを見ながら死んでいく水谷(曽根晴美)の友情。普通の映画では何もなく流されていくちょっとしたシーンに、「人を見せる」ための情報や演出が濃厚に盛り込まれているんです。

 それがしっかりと機能しているからこそ、観客は一人一人の人物を感じ、その選択に納得し、葛藤に共感できるんです。つや子が音を逃がすシーンはそれら全てが結実した名シーンだと思います。泣いた。誰に泣いてるのかわからないまま泣きました。

 誰しもが少しのしがらみと、少しの気遣いと、少しの我がままを出し合いながら世の中が回っている。そんな部分のギリギリの線を走り抜けた物語に、すっかり打ちのめされてしまったみたいです。任侠映画で泣くとは思わなかった。

(評価:★5)

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