[コメント] 修羅雪姫(1973/日)
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通常復讐には恋慕や嫉妬、権力闘争などの、復讐の土台となる感情の物語があるはずなんです。しかしこの作品の主人公、鹿島雪にはそれがない。もちろん親の仇という物語があるにはあるのですが、それはあくまでも聞かされて育ったに過ぎないんです。仮に恨みがあるとすれば、それは「己の道を、復讐の道に変えられてしまった怨み」。つまり人のためや自分のためではなく、雪は「復讐のために」復讐を果たそうとしているんです。復讐を突き詰めると、そこには感情すら不要になる。その研ぎ澄まされた「復讐」は、映像の美しさと相まって、とても澄み切って見えます。
そんな復讐のための復讐という輪廻が断ち切られるのが、正に本懐を遂げたその瞬間なんです。雪の中で回り続けていた復讐という輪がその存在に終わりを告げ、切れた輪の端は初めて外の世界と繋がる。そしてそこから輪の中に入ってきたのが、竹村伴蔵(仲谷昇)の娘小苗(中田喜子)だったんです。今まで己の中で完結していた復讐が、外の世界に連鎖していくのを目の当たりにして、初めて雪は復讐の虚しさを思い知らされます。
今まで「正義」という意味でも純粋であった雪の復讐が、他者の怨みを買う結果をもたらすことで、その純粋さを失ってしまう。そしてそれはそれまでの雪の人生をも揺るがし、気付けば大事な物全てを失っている自分がいる。ラストシーン、主題歌「修羅の花」を断ち切って響く雪の咆哮は、正にそんな美しき復讐譚の結末の表れであるように思えました。
ただ、だからこそラストシーンの雪は死ぬべきだったと僕は思うんです。あそこで己が死ぬことで、その純粋な復讐譚は本当の意味での純粋さを保ち得たんだと思います。何も持たずに惨めに死んでいくことをも含んでこそ、その復讐は完璧な復讐なんです。何故なら復讐は必ず虚しい物であり、復讐者は復讐以外に生きる目的を持たない者だからです。
また中原早苗以外の悪役が、その復讐を受けて立てるまでの存在感を出せなかったというのも、ちょっと残念な部分ではあります。
とはいえ、それらを差し引いても堂々の5点。「ベタ」を「純粋」にまで昇華させた美しい映像と音楽は、作品の中でも特に秀逸だったと思います。
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