[コメント] 天使の涙(1995/香港)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
わたしが、王家衛映画で気に入らなかったのは、公開時の熱狂振りでも、お洒落人ご用達振りでもなく、それはこの映画のどこをどう切っても、村上春樹のコピーにしか思えず、そして、それが遥かに及ばないと思えたところだ。ドフトエフスキーが予言し、村上春樹が固めたと言う「誰もわかりあえることができない」という現代の空虚を、テーマとして引用しているばかりでなく、文体としてまで、きれいに引用している。そして、お洒落とかスタイリッシュとかいう賛辞の言葉もその言葉が同時にもたされるのと同じように中身が無い映画としか思えなかった。
伝わらない思いを描いているだけならば、それは、「わかってるから、もういいよ」と後ろを向いて言うだけで終わる話だ。
そして、今になっても、アート系やらサブカル系としてもてはやされる映画の主題は少しも変わっていない。そこで、ふと気がついたことは、それは、昔からそうだった。という単純なことだ。わたしが大好きなロードムービーも、アメリカニューシネマたちも、欧州のそれぞれの国で「波」を翻訳して出てきたブームになった時の映画たちは、みんなそういうことだった。その時の鼻をつくくらいお洒落を気取ってくれないとダメなんだ。撮り終わったそばから陳腐になるような風俗を描いておかないといけないんだ。
そして、何よりも、ここには、あらかじめ失われていることを描いているだけでなく、ここには間違いなく、ドキドキする人が人を好きになる。ならざるをえない気持ちがすくいあげられているよ。だから、これでいいよ。それだけでいいよ。
映画は何も無くていい。底が浅くてもいいよ。時代に残るかどうかなんて、どうでもいいじゃん。今というカキワリのようなすぐ倒れてしまうくらい薄くて刹那的でいい。だってそれが映画でしょ。 と想えるようになりましたトサ。
もう勝手にカキワリを本物と信じてこそ。永遠を、この映画の最後を信じることができるよ。
「すぐ着いて降りるのは分かっていたけれど、今のこの暖かさは永遠だった」
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