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[コメント] チャーリーとチョコレート工場(2005/米=英)

毒のある笑いを提供されるのは大好きだが、そこに“エクスキューズ”をつけるとは性質が悪い。毒と娯楽のバランス感覚が失われてしまったティム・バートン作品がこれほど悪趣味とは…。(2007.11.3.)
Keita

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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予告編などでチョコレート工場の内装を見たときから、『シザーハンズ』や『スリーピー・ホロウ』などではしっくり来るティム・バートン流のビジュアルが、ここではどうもズレているような、ちょっとした違和感を感じていたので、実は観るのを敬遠していた作品である。

大人も子供も楽しめるエンタテイメント作品として、手堅い作りにはなっていた。地上波の放映で、家族で笑って愉快に楽しめる作品として、ひとつの定番になりそう。

でも、実はこの映画、すごく性質が悪い…。

表向きはしっかりみんなが観られるような毒のない作りになっている。“家族”に着地させたエンディングなどは特にそれを象徴している。だが、映画の中は毒で溢れている。

別に毒で溢れていること自体は問題ではない。『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』にしても、『コープス・ブライド』にしても、やはり毒に溢れている。今作の場合、その毒を悪意がなさそうに見せようとしているところが性質が悪いのだ。そして、ダークなビジュアルではなくポップなビジュアルに囲まれているからこそ、それが妙に強調された気がしてならない。

4人の憎たらしい子供たちが日ごろの悪い行いのお仕置きとばかりに痛い目に合わされ、それをジョニー・デップ演じるウィリー・ウォンカとともにへらへらと笑うこの映画。確かに、ジョークとしては非常に面白いのだが、必ずウィリーは臭わせるのだ。彼らが「死なない」ということを。死んでもおかしくないような悪戯をしておいて、実は死なないからいいんだよと言い訳するのは、随分と卑怯なやり口に思える。そんな弁解を脚本に含ませるなら、最初からやるな!って話なのだ。

その毒をギャグとしてだけ素直に楽しませるための方法はあったはずだ。それはきっと物語やキャラクター造形によってなされるはずだろう。脇役の4人の子供はお仕置きをされるためにキャラ設定が結構しっかりあるのに、フレディ・ハイモア演じる主人公の男の子はキャラ設定がしっかりされていないのである。いい意味でも悪い意味でも影が薄い。ウィリーの依頼を家族のために断るまで、彼は工場の中で何ひとつ目立つことをしていない。それは、ウィリーに対する「コイツ、なんか変だぞ」という素振りを見せることでも良かったのだが…。

そもそも、ウィリーがあまりに一方的すぎるのだ。いくらジョニー・デップが達者だからと言って、彼を中心に映画を進めてはいけなかったのだと思う。ウィリーが悪戯をしながらも、だんだんと空虚に苛まれて…といったような展開だったら良いのだが、基本的に終盤で工場の外へ出て、ナレーションが物語を進めるまでは独壇場で進むのだから、人間同士を描いて何かを気づかせるなんてこと、できるはずがないのだ。

ウンパ・ルンパと『2001年宇宙の旅』のパロディは非常に面白かったが、全体的にはとても悪趣味な映画だ。確信犯的にやっているところがまた悪趣味。ビジュアルでの敬遠が、内容にまで関わっていたとは、直感的に劇場に観に行かなかったのは正解だったのかも…(結局、DVDで観てしまったが)。

(評価:★2)

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